訓読 >>>
4481
あしひきの八(や)つ峰(を)の椿(つばき)つらつらに見とも飽(あ)かめや植ゑてける君
4482
堀江(ほりえ)越え遠き里まで送り来(け)る君が心は忘らゆましじ
要旨 >>>
〈4481〉山の峰々に咲く椿を見飽きることがないのと同じで、どんなに見ても見飽きることがありません、これを植えられたあなたは。
〈4482〉難波の堀江を越えて、この遠いこの里まで送ってくださった、あなたのお心遣いは忘れようにも忘れられないでしょう。
鑑賞 >>>
天平勝宝9年(757年)3月4日、兵部大丞(ひょうぶのだいじょう)大原真人今城(おおはらのまひといまき)の家で宴会をしたときの歌。大原真人今城は、もと今城王、臣籍降下して大原真人姓となった人で、母方が大伴一族だったため、大伴家の人々と深く関わる立場にあり、家持とも幼少のころから親しかったようです。
4481は、客人の大伴家持が、今城の邸の庭に植えてある椿に寄せて作った歌。「八つ峰の椿」は、幾つもの尾根に咲く椿。上2句は「つらつら」を導く序詞。「つらつらに」は、念を入れて、よくよく。「見とも飽かめや」の「見る」は、今城に逢うことを言っています。
4482は、主人の今城が読み伝えた歌。もとは播磨介(はりまのすけ)藤原朝臣執弓(ふじわらのあそみとりゆみ)が赴任するときに別れを悲しんで詠んだ歌であり、家持に対する謝意を古歌に託したものです。「堀江越え」は、難波堀江を越えて。「送り来る」の「来(け)り」は、来アリの約。「忘らゆましじ」の「忘らゆ」は「忘る」の自発表現。「ましじ」は、打消推量の助動詞。この歌について窪田空穂は、「播磨介に任じられた藤原執弓が、難波津から船で任地に赴こうとして、親しい人から遠く難波まで見送られ、別れようとして、その人に挨拶として述べた感謝の歌である。『堀江越え遠き里まで送りける』と事を細かくいっているのは、その事を重く見たためで、それがすなわち感謝なのである。しみじみとした気分の現われている歌で、その場合を思わせる」と述べています。