大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

家人の斎へにかあらむ平けく・・・巻第20-4408~4412

訓読 >>>

4408
大君(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに 島守(しまもり)に 我(わ)が立ち来れば ははそ葉(ば)の 母の命(みこと)は み裳(も)の裾(すそ) 摘(つ)み上げ掻(か)き撫で ちちの実(み)の 父の命(みこと)は 栲(たく)づのの 白(しら)ひげの上ゆ 涙(なみだ)垂(た)り 嘆きのたばく 鹿子(かこ)じもの ただひとりして 朝戸出(あさとで)の 愛(かな)しき我(あ)が子 あらたまの 年の緒(を)長く 相(あひ)見ずは 恋しくあるべし 今日(けふ)だにも 言問(ことど)ひせむと 惜(を)しみつつ 悲しびませば 若草の 妻も子どもも をちこちに さはに囲(かく)み居(ゐ) 春鳥(はるとり)の 声のさまよひ 白栲(しろたへ)の 袖(そで)泣き濡(ぬ)らし 携(たづさ)はり 別れかてにと 引き留(とど)め 慕(した)ひしものを 大君の 命(みこと)畏(かしこ)み 玉桙(たまほこ)の 道に出で立ち 岡の先 い廻(た)むるごとに 万度(よろづたび) 顧(かへり)みしつつ はろはろに 別れし来れば 思ふそら 安くもあらず 恋ふるそら 苦しきものを うつせみの 世の人なれば たまきはる 命(いのち)も知らず 海原(うなはら)の 畏(かしこ)き道を 島伝(しまづた)ひ い漕(こ)ぎ渡りて あり巡(めぐ)り 我(わ)が来るまでに 平(たひ)らけく 親はいまさね つつみなく 妻は待たせと 住吉(すみのえ)の 我(あ)が皇神(すめかみ)に 幣(ぬさ)奉(まつ)り 祈(いの)り申(まを)して 難波津(なにはつ)に 船を浮け据(す)ゑ 八十楫(やそか)貫(ぬ)き 水手(かこ)整へて 朝開(あさびら)き 我(わ)は漕(こ)ぎ出(で)ぬと 家に告げこそ

4409
家人(いへびと)の斎(いは)へにかあらむ平(たひら)けく船出(ふなで)はしぬと親に申(まを)さね

4410
み空行く雲も使(つかひ)と人は言へど家づと遣(や)らむたづき知らずも

4411
家づとに貝ぞ拾(ひり)へる浜波(はまなみ)はいやしくしくに高く寄すれど

4412
島蔭(しまかげ)に我が船(ふね)泊(は)てて告げ遣(や)らむ使(つかひ)を無(な)みや恋ひつつ行かむ

 

要旨 >>>

〈4408〉大君のご任命のままに、島守として家を出た時、ははそ葉の母上は裳の裾をつまみ上げて私の顔を撫で、ちちの実の父上は白い髭の上に涙を流されておっしゃった。「たった一人で朝戸を開けて旅立つ愛しい我が子よ、長い年月逢えなくなったら恋しくてやりきれないだろう。せめて今日だけでも存分に語り合おう」と。名残を惜しんで悲しまれると、妻も子もあちこちから寄ってきて私を取り囲み、春鳥のように声をあげ、着物の袖を泣き濡らし、手にとりすがって別れが辛いと私を引き留め追って来たのに、大君のご命令の恐れ多さに旅路に出立し、丘の向こうを回るたびに幾度も振り返りながら、はるばる別れてやってきたが、心は安からず、恋い焦がれる心も苦しい。この世に生きている生身の人間である以上、明日の命も計り難いとはいえ、どうか、恐ろしい海原の道を島伝いに漕ぎ回って行き、私が無事に帰って来るまで、両親は平穏でいてほしい、妻はつつがなくいてほしいと、住吉の神様に供え物をしてお祈りした。 難波津に船を浮かべ、船に櫂をびっしり取り付け、水夫をそろえて、朝早く漕ぎ出していったと、家の者にお伝え下さい。

〈4409〉家の者がみんな身を浄めて祈ってくれているからだろう。無事に船出して筑紫に向かったと親に伝えて下さい。

〈4410〉大空を行く雲さえも使いをしてくれると人は言うが、家へみやげを送る手だてが分からない。

〈4411〉家へのみやげにしようと貝を拾っている。浜辺の波は、しきりに高く押し寄せてくるけれど。

〈4412〉島陰に我らの船が停泊したが、そのことを知らせる使いは無く、このまま家恋しさに暮れながら航海を続けるのだろう。

 

鑑賞 >>>

 大伴家持による、防人の悲別の心を述べた歌。4408の「任け」は、任命して派遣すること。「まにまに」は、従って。「島守」は、島を守る人。ここでは防人。「ははそ葉の」「ちちの実の」は、それぞれ同音で「母」「父」に掛かる枕詞。「母(父)の命」は、敬意を込めた語。「栲づのの」は、栲の皮で作った綱で、その白いところから「白ひげ」の枕詞。「のたばく」は「のたまはく」と同じ。「鹿子じもの」は、鹿の子のように。鹿は初夏に一匹だけ子を生むことから、次句の比喩。「あらたまの」「若草の」「春鳥の」は、それぞれ「年」「妻」「声のさまよひ」の枕詞。「さまよひ」は悲しみ嘆いて。「白栲の」は「袖」の枕詞。「別れかてにと」の「かてに」は、~できないので。「玉桙の」は「道」の枕詞。「い廻むる」の「い」は、接頭語。「思ふそら」の「そら」は、うつろな精神状態、不安な心境。「たまきはる」は「命」の枕詞。「つつみなく」は、つつがなく。「住吉の我が皇神」は、住吉神社海上を支配する神。「皇神」は、皇祖神の意ですが、他の神にも用いられるようになっていました。「告げこそ」の「こそ」は、他に対する願望の終助詞。

 4409の「斎へにかあらむ」は「斎へばにかあらむ」の意。「斎ふ」は禁忌を守って吉事を祈ること。「申さね」は、申し上げて下さい。4410の「雲も使ひ」は、雲さえも文の使いはする、の意か。「家づと」は、家へのみやげ。「たづき」は、方法、手段。4411の「いやしくしくに」は、いよいよますます。4412の「使を無み」は、使いがないので。

 2月8日と19日に作った長歌(4331・4398)に続き、2月23日に作ったもので、各国の防人歌が順次提出され、家持はそれらの総覧と選択に追われているさなかにありましたが、上野国の防人歌まで読んだ段階で、再び彼らの心情に対する同情共感を禁じ得ず、この歌を作ったとみられます。作意も構成も同じようなものですが、家持は黙ってはおれなかったのでしょう。そこには、あくまで防人の心になりきろうとする執念が感じられます。それでも、防人たちの読み手の心臓をぐさっと刺すような悲しみに比べれば、家持の哀愁は手ぬるいとか、内容が締まらず感興に乏しいなどとする批判があります。しかし、そうした評価は、家持に対して酷といえましょう。彼はその繊細な感性で、精いっぱい防人の真情を汲み上げ、かたがた、自身の歌境を深めたのです。

 

 

『万葉集』掲載歌の索引

大伴家持の歌(索引)