大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

白鳥の鷺坂山の松蔭に・・・巻第9-1685~1687

訓読 >>>

1685
川の瀬の激(たぎ)ちを見れば玉かも散り乱れたる川の常(つね)かも

1686
彦星(ひこほし)のかざしの玉し妻恋(つまごひ)に乱れにけらしこの川の瀬に

1687
白鳥(しらとり)の鷺坂山(さぎさかやま)の松蔭(まつかげ)に宿(やど)りて行かな夜(よ)も更け行くを

 

要旨 >>>

〈1685〉川瀬の激しい流れを見ると、きれいな玉が散り乱れているかのようだ。いつもこのような姿の川なのか。

〈1686〉天上の彦星の髪を飾っていた玉が、妻恋しさに乱れて散り落ちたらしい、この川の瀬に。

〈1687〉鷺坂山の松の木蔭に泊まろう。夜も更けてきたことだから。

 

鑑賞 >>>

 1685・1687は、『柿本人麻呂歌集』から「泉川の辺にして間人宿禰(はしひとのすくね)の作れる歌」2首。間人宿禰は、名が略されており、伝未詳。「泉川」は、京都府南部を流れる木津川。1685の「激ち」は、水の激しい流れ。「玉かも」の原文「玉鴨」とあるのを、タマモカモ、タマヲカモと訓み添える説もあります。「川の常かも」は、この川のいつもの姿なのか、の意。水流の豊かな泉川を初めて目にした感動と見えます。「玉かも」と4音句になっているのも、その強い感動の表れとの見方があります。

 1686の「彦星」は、七夕の牽牛星。「妻恋」は、織女を恋うる意。「乱れにけらし」は、乱れ散ったのであろう。連作となっており、川の水の泡立ち流れるのを玉と見ただけでは心足らず、それを天上の物であるとし、彦星の妻恋の嘆きを連想して歌っています。七夕の日が近い秋の時季だったのかもしれません。これらの歌が『人麻呂歌集』に収められているのは、あるいは人麻呂と共に山背道を旅したことによるのかもしれません。

 1687は、同じく『柿本人麻呂歌集』から「鷺坂(さぎさか)にて作れる歌」1首。鷺坂は今の京都府城陽市久世にある坂道で、大和から近江へ行く街道にあたります。「白鳥の」は、白い意で「鷺」にかかる修飾語的枕詞。「鷺坂山」は、この付近の丘陵を鷺坂山と呼んだもの。「松蔭」は「松」に男を待つ意を懸けて、その地に住む女性をにおわせたものか、との見方があります。単なる木蔭での旅寝を歌うにしては第3句までの表現が美しいので、あるいはそうかもしれません。「行かな」の「な」は、意志・願望の助詞。

 

 

万葉集』以前の歌集

■『古歌集』または『古集』
 これら2つが同一のものか別のものかは定かではありませんが、『万葉集』巻第2・7・9・10・11の資料とされています。

■『柿本人麻呂歌集』
 人麻呂が2巻に編集したものとみられていますが、それらの中には明らかな別人の作や伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではありません。『万葉集』巻第2・3・7・9~14の資料とされています。

■『類聚歌林(るいじゅうかりん)』
 山上憶良が編集した全7巻と想定される歌集で、何らかの基準による分類がなされ、『日本書紀』『風土記』その他の文献を使って作歌事情などを考証しています。『万葉集』巻第1・2・9の資料となっています。

■『笠金村歌集』
 おおむね金村自身の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第2・3・6・9の資料となっています。

■『高橋虫麻呂歌集』
 おおむね虫麻呂の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第3・8・9の資料となっています。

■『田辺福麻呂歌集』
 おおむね福麻呂自身の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第6・9の資料となっています。
 
 なお、これらの歌集はいずれも散逸しており、現在の私たちが見ることはできません。

『万葉集』掲載歌の索引