訓読 >>>
1696
衣手(ころもで)の名木(なき)の川辺(かはへ)を春雨に我(わ)れ立ち濡(ぬ)ると家思ふらむか
1697
家人(いへびと)の使ひにあらし春雨の避(よ)くれど我(わ)れを濡(ぬ)らさく思へば
1698
あぶり干(ほ)す人もあれやも家人(いへびと)の春雨すらを間使(まつか)ひにする
要旨 >>>
〈1696〉名木(なき)の川辺で、私が春雨に濡れて立っていると、家の妻は思ってくれているだろうか。
〈1097〉 これは家族の使いなのだろうか。春雨が、いくら避けようとしてもしつこく私を濡らしてしまうのを思えば。
〈1698〉濡れた着物を干してくれる人などありはしないのに、家の妻は疑って、春雨のようなものまでも使いに寄こしてくる。
鑑賞 >>>
『柿本人麻呂歌集』から、「名木川にて作れる歌」3首。名木川は、京都府宇治市南部を流れ、巨椋池(おぐらいけ)に注いでいた川ではないかとされます。1696の「衣手の」は、続きの意が不確かながら「名木」の枕詞。衣の袖がなえて和(な)ぐ意の和(な)ぎを、同音で名木に続けたとする見方があります。「家」は、家の者たち、ここは家にいる妻。「思ふらむか」は、思っているだろうか。1697の「家人」も、妻のこと。「避くれど」は、避けても。「我れ」は原文「吾等」とあるので、旅の同行者の気持ちを代弁しているのかもしれません。1698の「あれやも」の「やも」は、反語。あろうか、ありはしない。「間使ひ」は、二人の間を往来する使い。
3首1組の歌で、この順序に従って、旅先で降られた春雨に触発された妻への思いが次第に昂揚していくさまを歌っています。1首目は、今ごろ妻は自分を思ってくれているだろうかと単に思い出したのに過ぎなかったのが、2首目では、自分を濡らす春雨はどうやら妻の意志によるらしいと疑い、3首目にいたっては、妻が自分の傍に他の女性がいるのを疑っているのではと、妻の嫉妬の感情まで推し量っています。同行する男性官人らの間で、旅中の慰めに披露されたものと見えます。
『柿本人麻呂歌集』について
『万葉集』には題詞に人麻呂作とある歌が80余首あり、それ以外に『人麻呂歌集』から採ったという歌が375首あります。『人麻呂歌集』は『万葉集』成立以前の和歌集で、人麻呂が2巻に編集したものとみられています。
この歌集から『万葉集』に収録された歌は、全部で9つの巻にわたっています(巻第2に1首、巻第3に1首、巻第3に1首、巻第7に56首、巻第9に49首、巻第10に68首、巻第11に163首、巻第12に29首、巻第13に3首、巻第14に5首。中には重複歌あり)。
ただし、それらの中には女性の歌や明らかに別人の作、伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではないようです。題詞もなく作者名も記されていない歌がほとんどなので、それらのどれが人麻呂自身の歌でどれが違うかのかの区別ができず、おそらく永久に解決できないだろうとされています。
文学者の中西進氏は、人麻呂はその存命中に歌のノートを持っており、行幸に従った折の自作や他作をメモしたり、土地土地の庶民の歌、また個人的な生活や旅行のなかで詠じたり聞いたりした歌を記録したのだろうと述べています。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について