訓読 >>>
1726
難波潟(なにはがた)潮干(しほひ)に出でて玉藻(たまも)刈る海人娘子(あまのをとめ)ら汝(な)が名(な)告(の)らさね
1727
あさりする人とを見ませ草枕(くさまくら)旅行く人に妾(あれ)は敷(し)かなく
要旨 >>>
〈1726〉難波潟の潮が引いた浜に出て、玉藻を刈り取っている海人の娘さん、あなたの名を教えてください。
〈1727〉ただ玉藻を刈っている賤しい者とだけ見ておいてください。旅行く立派なお方には及びもつかない私です。
鑑賞 >>>
丹比真人(たじひのまひと)の歌。氏と姓とだけで、名は記していないので、誰とも知れません。伝未詳。巻第2-226、巻第8-1609にも「丹比真人」とだけ記されて名を欠く人物の作歌があります。巻第8には、丹比真人屋主(1442)、丹比真人乙麻呂(1443)、丹比真人国人(1557)の名が見えますが、この3人のうちの誰かなのか、また全くの別人なのか分かりません。
1726の「難波潟」は、難波宮に近い海岸。「潮干」は、潮が引いた後の海岸。「玉藻」の「玉」は、美称。「海人娘子ら」の原文「海未通等」は「女」の字が漏れているとされます。「等」をドモと訓むか、ラと訓むか両様考えられますが、呼びかけて求婚する場合であるので単数であるべきとの立場に従い、「ら」は接尾語と見ます。「告らさね」の「さ」は敬語、「ね」は願望で、言ってほしい。
1727は、それに答えた歌。作者名が記されていないので、同じ丹比真人の作とされます。「あさり」は、魚介や海藻をとること。「人とを見ませ」の「を」は詠嘆で、人と見てください。「草枕」は「旅」の枕詞。なお、「妾は敷かなく」の原文「妾者不敷」は「妾名者不教」の誤りだとして「ワガ名ハノラジ」と訓む立場もあります。しかし窪田空穂は、「旅人であるがゆえに拒むというのは、意としては通じやすいが、そのために誤写説を設けた迎えての解である」と批判しており、ここは上掲どおり「我が身分は及ぼない」として拒んだとする解釈に従います。宴で作者が披露した歌であろうとされ、また、巻第5にある大伴旅人の「松浦川に遊ぶ序」あるいは『游仙窟』のような漢籍に影響されて作ったものだろうとの見方があります。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について