訓読 >>>
1732
大葉山(おほばやま)霞(かすみ)たなびきさ夜(よ)更(ふ)けて我(わ)が舟(ふね)泊(は)てむ泊(とま)り知らずも
1733
思ひつつ来(く)れど来(き)かねて三尾(みを)の崎(さき)真長(まなが)の浦(うら)をまたかへり見つ
要旨 >>>
〈1732〉大葉山に霞がかかり、夜も更けてきたというのに、われらの舟を泊める港が分からない。
〈1733〉思いを残して来はしたたが、やはり素通りしかねて、三尾の崎やら真長の浦を幾度も振り返って見たことだ。
鑑賞 >>>
碁師(ごし)の歌2首。碁師がどういう人であるか不明で、碁氏出身の法師、あるいは碁打ちかともいわれます。1732は、巻第7-1224の作者未詳歌との重出。「大葉山」は、紀伊国の山とされますが、近江国の説もあり、所在未詳。海または湖に近く、航海の目標になった山と見られます。「さ夜」の「さ」は、接頭語。「霞」は、ここは夜霧。「知らずも」の「も」は、詠嘆。
1733は、琵琶湖を舟行した時の歌。「思ひつつ」は、発って来た地(港町)で歓待してくれた人々(女たち)を思いながら。「三尾の崎」「真長の浦」は、いずれも琵琶湖西岸の高島市の地。三尾は、水陸の交通の要衝であったと共に、軍事上の要地でもあり、壬申の乱や藤原仲麻呂の乱で戦場となった所です。この歌は、あるいは前歌の続きからすると、停泊する港を探しあぐねて、通り過ぎた真長の浦あたりで停泊すべきだったと歌っているものかも知れません。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について