訓読 >>>
1566
ひさかたの雨間(あまま)もおかず雲隠(くもがく)り鳴きぞ行くなる早稲田(わさだ)雁(かり)がね
1567
雲隠(くもがく)り鳴くなる雁の行きて居(ゐ)む秋田の穂立(ほたち)繁(しげ)くし思(おも)ほゆ
1568
雨隠(あまごも)り情(こころ)いぶせみ出(い)で見れば春日(かすが)の山は色づきにけり
1569
雨晴れて清く照りたるこの月夜(つくよ)またさらにして雲なたなびき
要旨 >>>
〈1566〉久方の雨の晴れ間も休みなく、雲に隠れては現れて鳴いていく、早稲田の雁たちが。
〈1567〉雲に隠れて鳴いている雁が降り立つであろう秋の田の稲穂が繁っているように、あの人のことがしきりに思われる。
〈1568〉雨にこもって心も沈んでいたが、外に出てみると、春日山はすっかり色づいている。
〈1569〉雨が晴れて清く照り渡ったこの月に、雲よ、また更にたなびかないでくれ。
鑑賞 >>>
大伴家持の「秋の歌四首」。天平8年9月、家持19歳の作で、無位の内舎人(うどねり)として聖武天皇に近侍していた頃にあたります。内舎人は、天皇の国事や後宮関係の事務を司る中務省(なかつかさのしょう)に属し、帯刀して禁中の宿衛(とのい)や行幸の際の警備が主な任務とされました。家持は20代の多くの歳月を、内舎人として宮廷に仕えています。ここでは、雁、稲穂、黄葉、月が取り合わせて詠まれています。
1566の「ひさかたの」は、天を「雨」に通わせての枕詞。「雨間」は、雨の晴れ間。「鳴きぞ行くなる」は、鳴き立てて飛んでゆく。「早稲田雁がね」の「雁がね」は雁。早稲田を「刈る」とを掛けているとされますが、そうは認められないとする見方もあります。1567の「雲隠り」は、雲に隠れて。「鳴くなる」の「なる」は、推定。「行きて居む」は、行って降り立つであろう。「む」は、推量。「秋田の穂立」は、秋田の稲穂が立ち揃うさま。「繁くし」の「し」は、強意の副助詞。この歌は、坂上大嬢が家持に贈った歌(巻第8-1624)の「早稲田の穂立」を踏まえていると見られ、わけがあって離絶している大嬢への恋情が込められているものと思われます。
1568の「いぶせみ」は「いぶせし」のミ語法で、鬱々とした思いで心が晴れないので。多くは性の不満に起因する状態を示す語です。9月は5月とともに長雨の月ですが、稲作にとっては大切な、神の来臨を迎える聖なる月とされていました。人々は物忌みのため家に籠り、男女関係も原則ご法度とされていたのです。それを古来「雨隠り」と呼んでいました。「春日山」は、奈良市東方の山並み。1569の「雲なたなびき」の「な」は、禁止。雨隠りを強いられていた長雨が上がり、さやかに照る月を詠むことによって、以上4首の結びとしています。