大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

神奈備の神寄せ板にする杉の・・・巻第9-1773

訓読 >>>

神奈備(かむなび)の神寄(かみよ)せ板(いた)にする杉(すぎ)の思ひも過ぎず恋の繁(しげ)きに

 

要旨 >>>

神奈備山の神寄せ板に用いる杉のように、私の恋心も過ぎ去り消えることがない、その激しさに耐え難くて。

 

鑑賞 >>>

 『柿本人麻呂歌集』から、弓削皇子(ゆげのみこ)に献上した歌。「神奈備」は、神が鎮座する山や森のことをいう普通名詞で、ここでは三輪山。「神寄せ板」は、神を寄せる板で、神事を行う前に神を招くために叩くものとされます。原文「神依板」で、カムヨセイタ、カムヨリイタと訓むものもあります。上3句は「杉」の同音反復で「思ひも過ぎず」を導く序詞。「思ひも過ぎず」の「思ひ」は、恋の嘆き。「過ぎず」は、消えない。

 窪田空穂はこの歌について、「序詞は、きわめて飛躍の大きいもので、単に謡い物風に見ても特殊なものであるが、この歌にあってはそれは副次的なものとなって、嘆きとの繋がりを覘(ねら)いとしたものである。それは上代の信仰では、男女関係は一々神意によって定まるものとしていたので、神事の上では重いものである神依板は、その嘆きは神の喜び給わぬことだということを暗示するものとなるからである。すなわちこの序詞は、単に序詞にとどまらず、一首の気分に重い役をしている」と述べています。

 弓削皇子(673年?~没年699年)は、天武天皇の第6皇子で、母は天智天皇の娘の大江皇女。同母兄に長皇子。持統天皇10年(696年)の太政大臣高市皇子薨去後の、皇太子を選ぶ群臣会議で、軽皇子(後の文武天皇)をたてることに異議をとなえようとし、葛野王(かどののおう)に叱責され制止されたことで知られます。本来であれば皇位継承順位第一位となるはずだった同母兄の長皇子を推薦しようとしたのだと推測されています。

 

 

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※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について

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