大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

防人の歌(49)・・・巻第20-4378~4380

訓読 >>>

4378
月日(つくひ)やは過(す)ぐは行けども母父(あもしし)が玉の姿は忘れせなふも

4379
白波(しらなみ)の寄そる浜辺に別れなばいともすべなみ八度(やたび)袖(そで)振る

4380
難波津(なにはと)を漕(こ)ぎ出て見れば神(かみ)さぶる生駒高嶺(いこまたかね)に雲ぞたなびく

 

要旨 >>>

〈4378〉月日だけはどんどん過ぎて行くけれど、母さん父さんの玉のような姿は忘れれことができない。

〈4379〉白波が打ち寄せてくる浜辺で別れてしまえばどうしようもないので、今ここで、幾度も幾度も袖を振ってみる。

〈4380〉難波の港を漕ぎ出して顧みれば、神々しい生駒山に雲がたなびいている。

 

鑑賞 >>>

 下野国の防人の歌。作者は、4378が都賀郡(つがのこおり)の上丁、中臣部足国(なかとみべのたるくに)、4379が足利郡(あしかがのこおり)の上丁、大舎人部祢麻呂(おおとねりべのねまろ)、4380が梁田郡(やなだのこおり)の上丁、大田部三成(おおたべのみなり)。

 4378の「月日やは」の「月日(つくひ)」は、ツキヒの訛り。「や」は、「夜」の意とする説と、助詞の「や」とする説があります。「過ぐ」は、スギの訛り。「母父(あもしし)」は、オモチチの訛り。「玉の姿は」は、玉のような姿は、で、両親を尊んでの表現。「忘れせなふも」の「なふ」は、東国語独特の打消の助動詞。4379の「寄そる」は、ヨスルの訛り。「浜辺」は、任地である筑紫の浜辺のことを言っているか。「いともすべなみ」は、何とも方法がないので。

 4380の「難波津(なにはと)」は、ナニハツの訛り。一方、「難波門」の字を宛て、難波の海門と解する説もあります。「神さぶる」は、神々しい。「生駒高嶺」は、難波津の東方にそびえる生駒山(標高642m)。筑紫に向けての出航を待つ間、遊覧か何かで海に漕ぎ出した折の歌と見られます。

 

 

※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について

『万葉集』掲載歌の索引