訓読 >>>
1680
あさもよし紀伊(き)へ行く君が真土山(まつちやま)越ゆらむ今日(けふ)ぞ雨な降りそね
1681
後(おく)れ居(ゐ)て我(あ)が恋ひ居(を)れば白雲(しらくも)のたなびく山を今日(けふ)か越ゆらむ
要旨 >>>
〈1680〉紀伊の国に付き従ったあの方が、いよいよ今日は国境の真土山を越える日です。雨よ降らないでください。
〈1681〉あとに残って私があなたを恋しく思っているのに、あの方は、白雲たなびく山を今日越えておられるのでしょうか。
鑑賞 >>>
題詞に「後(おく)れたる人の歌二首」とあり、前の行幸従駕の13首(1667~1679)に続いて、共に旅に出ずに残った人の歌2首。帰京後の宴の場で、待つ妻の立場で詠まれたのではないかとされます。1680の「あさもよし」は、麻裳よしの意で「紀伊」に掛かる枕詞。「真土山」は、大和国と紀伊国の国境の山。「雨な降りそね」の「な~そ」は、懇願的な禁止。「ね」は、他に対する願望。1681の「白雲のたなびく山」も真土山とみられます。
以上で、大宝元年(701年)の紀伊行幸に関連する一群の歌が終わります。この時の行幸は、9月18日に都を出発し、10月8日に牟婁(むろ)の温湯に到着、同19日に帰京していることが記録されています。持統上皇にとっては持統4年(690年)に次いで2度目、文武天皇にとっては初めての紀伊行幸とされます。1680で旅中に雨が降るのを憂いているのは、9月下旬という時節柄、実際に即したものになっています。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について