大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

見わたせば向つ峰の上の花にほひ・・・巻第20-4395~4397

訓読 >>>

4395
龍田山(たつたやま)見つつ越え来(き)し桜花(さくらばな)散りか過ぎなむ我(わ)が帰るとに

4396
堀江(ほりえ)より朝潮(あさしほ)満ちに寄る木屑(こつみ)貝にありせばつとにせましを

4397
見わたせば向(むか)つ峰(を)の上(へ)の花にほひ照りて立てるは愛(は)しき誰(た)が妻

 

要旨 >>>

〈4395〉龍田山を越えながら見てきた桜の花は、私が帰る頃には散ってしまうのではなかろうか。

〈4396〉難波の堀江に朝潮が満ちてきて木屑が流れてきた。これがもし玉のような貝だったら、家への手みやげにできるのに。

〈4397〉見わたすと、向こうの岡の上の花々が咲いていて、その花に照り映えて立っている人は美しく可愛い。いったい誰の妻だろうか。

 

鑑賞 >>>

 いずれも大伴家持の歌で、天平勝宝7年(750年)2月17日作(太陽暦では4月3日)で、4395は「独り龍田山の桜花を惜しむ」歌、4396は「独り江水に浮かび漂う木屑を見、貝玉でないことを恨んで作る」歌、4397は「館の門から江南の美女を見て作る」歌。これらも4360~4362の歌と同じく防人の歌群にあり、ここの歌は防人に関係しない内容となっていますが、防人らが抱く望郷の念を意識したようでもあります。

 4395の「龍田山」は、奈良県三郷町大阪府柏原市の間の山地で、南麓の龍田道は大和と難波を結ぶ要路でした。「見つつ越え来し」は、見ながら越えて来た。「帰るとに」は、帰る頃には。「と」は、時、折。4396の「堀江」は、難波の地の掘割。現在の大川とされ、中国の揚子江に擬しています。「木屑」は、木の屑。「つと」は、土産。4397の題詞にある「館」は、兵部省役人の難波の官舎のこと。当時、兵部少輔(兵部省の次席次官)として防人交替業務を担っていた家持も、ここに詰めていたようです。「江南」は、揚子江南部。堀江の南側の上町台地の景色を江南に見立てています。「向つ峰」は、向こうに見える丘陵。「照りて立てる」美女は、遊行女婦だったかもしれません。

 

 

『万葉集』掲載歌の索引

大伴家持の歌(索引)