大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

妹が手を取りて引き攀ぢふさ手折り・・・巻第9-1683~1684

訓読 >>>

1683
妹(いも)が手を取りて引き攀(よ)ぢふさ手折(たお)り我(わ)が挿(かざ)すべく花咲けるかも

1684
春山は散り過ぎぬとも三輪山(みわやま)はいまだ含(ふふ)めり君待ちかてに

 

要旨 >>>

〈1683〉あの娘の手を取って引き寄せるようにつかみとって、私の髪飾りにするほどに花を咲かせたことだ。

〈1684〉春の山の花々は散ってしまった。でも、三輪山だけはつぼみのままでいます。あなたのおいでを待ちかねて。

 

鑑賞 >>>

 『柿本人麻呂歌集』から、「人皇(とねりのみこ)に献る歌」。舎人皇子は、天武天皇の第3皇子で、第47代淳仁天皇の父。養老4年(720年)5月『日本書紀』を撰集して奏上、同年8月、知太政官事。神亀6年(724年)には長屋王を窮問して自尽せしめ、同年、光明子立后の宣明を宣べた人です。『万葉集』には3首の作歌があります。『人麻呂歌集』には1704、1705にも皇子に献った歌があり、巻第2-196に皇子の同母妹の明日香皇女への人麻呂作の挽歌がありますが、人麻呂との関係がどのようなものだったのかは分かっていません。

 1683の「妹が手を」は「取りて」の枕詞。「引き攀ぢ」は、掴んで引き寄せる。「ふさ手折り」は、ふさふさと多くある物をそのまま手折って。宴席の装飾として花をかざしにする風習があったため、その席で詠まれた歌とみられています。「花咲けるかも」の「花」は、桜。1684の「三輪山」は、奈良県桜井市三輪の山で、大神(おおみわ)神社の神体とされている山。「含めり」は、花が開ききらないままである。「含(ふふ)む」は、もともと口の中に何かを入れる意で、その口がふくらんだ様子から蕾がふくらむ意に転じた語です。「待ちかてに」の「かて」は、可能の動詞「かつ」の未然形、「に」は打消の助動詞「ず」の連用形。待っていることができないで。

 舎人皇子に献じたこの2首は、何らかの寓意が込められているのではないかと問題にされている歌でもあります。1774、1775にも舎人皇子に献じられた歌が載っています。

 

 

 

「妹」と「児」の違い

 「妹」は、男性が自分の妻や恋人を親しみの情を込めて呼ぶ時の語であり、古典体系には「イモと呼ぶのは、多く相手の女と結婚している場合であり、あるいはまた、結婚の意志がある場合である。それほど深い関係になっていない場合はコと呼ぶのが普通である」とあります。しかし、「妹」と「児」とを、このように画然と区別できるかどうかは、歌によっては疑問を感じるものもあります。ただ、大半で「妹」が「児」よりも深い関係にある女性を言っているのは確かでしょう。

 また、例外的に自分の姉妹としての妹を指す場合もあり(巻第8-1662)、女同士が互いに相手を言うのに用いている場合もあります(巻第4-782)。

※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について

『万葉集』掲載歌の索引