訓読 >>>
娘子(をとめ)らを袖布留山(そでふるやま)の瑞垣(みづかき)の久しき時ゆ思ひけり吾等(あれ)は
要旨 >>>
乙女たちが袖を振るという布留の山の神聖な瑞垣のように、久しい以前からずっと思って来たよ、私たちは。
鑑賞 >>>
『柿本人麻呂歌集』から「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」1首。『万葉集』における相聞歌の「正述心緒歌」「譬喩歌」「寄物陳思」の3種類の表現方法のうち、「正述心緒」は直接に恋心を表白するのに対し、「譬喩歌」は物の表現に終始して、主題である恋心を背後に隠す方法、そして「寄物陳思歌」は、両者の中間にあって、物に託しながら恋の思いを訴える形の歌です。
「娘子らを袖」は「布留」を、また上3句は「久しき」を導く序詞で、大きな序詞の中にさらに別の序詞が含まれている形になっています。「布留山」は、奈良県天理市にある石上神社の背後の山。「瑞垣」は、瑞々しい垣の意で、垣根を讃えての称。「久しき時ゆ」の「ゆ」は、起点・経過点を示す格助詞で、久しい以前から。「思ひけり吾等は」は、句中に単独母音アを含む8音の字余り句。「吾等」は我々の意で、男性集団の共感の世界を表現しています。この歌は、巻第4-501にある「娘子らが袖布留山の瑞垣の久しき時ゆ思ひき我は」の人麻呂作の歌と、初句と結句がわずかに異なっています。ここの歌の方が語使いが古いので原形とされます。
『万葉集』の字余り句
和歌(短歌)は、5・7・5・7・7の31文字を定型としますが、5文字が6文字に、7文字が8文字に超過する句がある場合は「字余り」と呼ばれます。近代以降の和歌にも字余りを詠みこむ例がありますが、それらの字余りに特段の法則があるわけではありません。しかし、『万葉集』など古代の字余りには一定の法則が認められ、それを発見したのは、江戸時代後期の国学者、本居宣長です。すなわち、句中に「あ・い・う・え・お」のいずれかの単独母音を含むと字余りをきたすというものです。上の歌でいえば、結句の途中に母音アを含む8文字の字余りになっています。この場合、アが準不足音句になるので、7音節と見るのです。
もっとも、句中に母音音句を含めば、すべてが字余りになるかというとそうではなく、非字余りの句も存在します。また、従来、母音音句を含まず字余りで訓まれてきたものを、諸氏の本文批判や訓法によって5・7文字に改訓されてきた中にあって、母音音句を含まずに字余りと認められるものも僅かながら存在しています。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について