訓読 >>>
4310
秋されば霧(きり)立ちわたる天の川 石並(いしなみ)置かば継(つ)ぎて見むかも
4311
秋風に今か今かと紐(ひも)解きてうら待ち居(を)るに月かたぶきぬ
4312
秋草(あきくさ)に置く白露(しらつゆ)の飽(あ)かずのみ相(あひ)見るものを月をし待たむ
4313
青波(あをなみ)に袖(そで)さへ濡(ぬ)れて漕(こ)ぐ舟のかし振るほとにさ夜更(よふ)けなむか
要旨 >>>
〈4310〉秋になると霧が一面に立ちこめる天の川、ここに飛び石を並べれば、毎夜続けて逢えるのに。
〈4311〉秋風に吹かれながら、今か今かと着物の紐を解いて心待ちしているうちに、月が傾いてきた。
〈4312〉秋草に輝く白露のように飽きもしない美しいあなたを相見られる。今夜の月の出が待ち遠しい。
〈4313〉青波に着物の袖さえ濡らしながら漕ぐ舟を、杭を振り下ろして水中に立て、つなぎとめている間に夜が更けてしまうだろうか。
鑑賞 >>>
大伴家持が、天平勝宝6年(749年)7月7日に詠んだ「七夕」の歌8首のうちの4首。4310の「秋されば」は、秋が来ると。「石並み」は、川の浅瀬に石を並べて橋に代えたもの。「継ぎて見むかも」は、続けて逢えようか。4311の「秋風に」の格助詞「に」には種々の意味用法があり、そのどれとは決め難く、上掲の解釈のほか、秋風が吹くのに、秋風が吹くので、などと解されています。「紐解きて」は、片時も早く逢いたい気持ちの表現。「うら待つ」の「うら」は心の意で、心待ちに待つ。この歌のみ織女の心に代わって詠んでいます。
4312の上2句は、秋風に置く白露の美しさは見ても見飽きないことから、「飽かず」を導く譬喩式序詞。「月をし待たむ」は、あるいは次の七夕の日を待とう、の意か。下2句に意味不明瞭なところがあるため、第5句を「年にか待たむ」の誤りかとする説があります。4313の「青波」は、天の川の波で、蒼波という漢語に因みのあるもの。「かし」は、舟をつなぐために川の中に立てる杭。「ほと」は、間。織女に逢うまでの、わずかな時間を惜しむ彦星のもどかしい気持ちを詠んだ歌。
なお、左注に「右、大伴宿禰家持、独り天漢(あまのがは)を仰ぎて作れる」とあり、わざわざ「独り」と記したのは、晴れの席での披露ではないことを言うとともに、この頃の家持に、親密に語り合うべき友がいない孤独感の表明であるのかもしれません。このあとの4320の歌の左注にもこの語が現れます。