訓読 >>>
2486
茅渟(ちぬ)の海の浜辺(はまへ)の小松(こまつ)根(ね)深めて我(あ)が恋ひ渡る人の子ゆゑに
2487
奈良山の小松が末(うれ)のうれむぞは我(あ)が思ふ妹(いも)に逢はず止(や)みなむ
2488
礒(いそ)の上(うへ)に立てるむろの木(き)ねもころに何しか深め思ひそめけむ
要旨 >>>
〈2486〉茅渟の海の浜辺に生えている松の根は深く、その根のように私は深く思い続けている、ふと出逢ったあの子ゆえに。
〈2487〉奈良山の若松の枝先のようにうら若い、私が恋するあの子にどうして逢わずにいられようか。
〈2488〉磯の上にしっかり根を張っているむろの木のように、どうして私は深く深く思うようになってしまったのだろう、あの子を。
鑑賞 >>>
『柿本人麻呂歌集』から「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」3首。2486の「茅渟の海」は、大阪市堺市から岸和田市にかけての大阪湾の海。古く和泉国を茅渟県(ちぬのあがた)と言ったことによります。上2句は、小松の根と続き「根深めて」を導く序詞。「根深めて」は、その根が深いように、心深めて、の意。「人の子」は、人(親)に養われていて自分の思いどおりにはならない娘の意を含んでいます。あるいは人妻の意とも。
2487の「奈良山」は、奈良市北部の丘陵地。「小松が末」の「末」は、梢の先端。上2句は「うれむぞ」を導く同音反復式序詞。「うれむぞ」は、どうして~だろう、という反語的な意を持つ副詞。「は」は、強意の副詞。「止みなむ」は「うれむぞ」の結。片思いをして、自身を励ましている男の歌です。
2488の「磯」は、海岸の岩。「むろの木」は、ヒノキ科のねずの木とされ、樹高10m以上にもなる常緑高木。上2句は、むろの木の高々と根を深めて立つさまから「ねもころに」を導く序詞。「ねもころに」は、ねんごろに、心深く。原文「心哀」で、ココロイタクと訓むものもあります。「何しか」は、どういうわけで、の意。原文「何深目」で、ナニニフカメテと訓むものもあります。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について