訓読 >>>
2783
吾妹子(わぎもこ)が何とも吾(われ)を思はねば含(ふふ)める花の穂(ほ)に咲きぬべし
2784
隠(こも)りには恋ひて死ぬとも御園生(みそのふ)の韓藍(からあゐ)の花の色に出でめやも
2785
咲く花は過ぐる時あれど我(あ)が恋ふる心の中(うち)は止む時もなし
2786
山吹(やまぶき)のにほへる妹(いも)がはねず色の赤裳(あかも)の姿(すがた)夢(いめ)に見えつつ
要旨 >>>
〈2783〉愛する人が私を何とも思ってくれないので、花の蕾が開くように、自分の恋心を露わにしてしまいそうだ。
〈2784〉人知れず、恋い焦がれて死んでしまっても、あなたのお庭の鶏頭の花の色のように、はっきりと顔に出したりいたしません。
〈2785〉咲く花はいずれ散って消える時がくるけれど、私が恋い焦がれる心のうちはやむ時もありません。
〈2786〉山吹の花のように美しく輝く顔色のあの子の、はねず色の赤裳を着けた姿が、夢に見えてきて。
鑑賞 >>>
作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」4首で、いずれも花に寄せての歌。2783の「何とも吾を思はねば」の「ねば」は順接で、何とも私のことを思ってくれないので。「含める花」は、つぼんだ花の意で、心の中に秘めている恋心の比喩。「含む」は、もともと口の中に何かを入れる意で、その口がふくらんだ様子から蕾がふくらむ意に転じた語です。「穂に咲きぬ」は、隠していたことが人目につくようになる譬喩。相手が自分を意識してくれないという事実は、本来なら諦めの理由になるはずですが、この作者にとっては、相手の冷淡さがむしろ、自分の中に溜まった感情を膨らませる圧力になっています。佐佐木信綱は、「普通の譬喩を用いた以上に、強い決心で突進する気持がよくあらはれている」と評し、窪田空穂は、「懸想した女が冷淡なので、ますます心がつのりそうだということを、説明的にいった歌である」と言っています。
2784の「隠りには」は、人知れず、ひそかには。「韓藍の花」は、原文「鶏冠草花」で、鶏頭(けいとう)の花のこと。「御園生」は、宮廷や貴人の美しい庭園。ここから、当時も庭で栽培されていたことが分かります。元の品種は鶏のトサカ色で、赤い花だったといいます。「色に出でめやも」の「や」は強い反語で、表面にあらわそうか、あらわしはしない。韓藍は、当時の植物の中でも際立って赤く、人目を引く存在でした。そんなに目立つ色(=噂になるような態度)で自分の恋を安っぽくさらけ出すくらいなら、誰にも知られずに死んだ方がマシだという、極めてプライドの高い情熱が描かれています。男女どちらの歌とも取れます。
2785の「花」はここでは特定の植物を指すというより、移ろいゆくものの象徴として置かれています。「過ぐる時」は、花の全盛期が過ぎ、散りゆく時期のこと。通常、和歌において花は美しさを讃える対象ですが、ここでは「いつか散るもの」「時とともに変わるもの」というネガティブな側面(無常観)を強調するために使われています。その対照として、自分の恋心を「不変・不動のもの」として提示しています。佐佐木信綱は、「類型の多い構想であるが、咲く花を用いたのが珍しい。平明な上に優美な歌である。その点では、平安時代的であるといえるであろう」と評しており、窪田空穂も「後世に好まれた歌風である」と述べています。男女どちらの歌とも取れます。
2786の「山吹の」は、山吹のように、で「にほふ」の比喩的枕詞。山吹は、バラ科の落葉低木で、4~5月に黄金色に近い黄色の花を咲かせます。「にほへる」は、美しく照り輝く。「はねず」は庭梅で、薄い紅色。「赤裳」は、女性が腰から下にまとった衣。赤は若さや高貴さの象徴です。「夢に見えつつ」の「つつ」は反復を表し、一度きりではなく、何度も繰り返し夢に出てくる様子。山吹の黄色とはねずの赤色を対比させた歌であり、窪田空穂は、「みずみずしい色彩を二つ配合して、平面的に叙したもので、一つの新傾向を見せている歌である」と述べています。

佐佐木信綱と『万葉集』
佐佐木信綱(1872~1963年)は、歌人として近代歌壇を牽引しただけでなく、近代万葉学の基礎を確立した人として知られます。国文学者としての功績の根幹には、常に万葉集の研究と普及がありました。主な業績は次の通りです。
- 『校本万葉集』の編纂
信綱の最大の功績とされるのが、1924(大正13)年から1925(大正14)年にかけて刊行された『校本万葉集』(全25巻)です。桂本、金沢本、天理本、元暦校本など、全国に分散していた重要写本や古版本を徹底的に調査・対校しました。『万葉集』の本文(原文・訓読)が時代によってどのように表記・伝承されてきたかを一目で網羅・比較できる基盤を作り上げました。現在の精密な万葉集研究やテキスト批判は、すべてこの『校本万葉集』を出発点としています。 -
『新訓万葉集』と一般への普及
学術的な厳密さを追求する一方で、岩波文庫版『新訓万葉集』などを通じて、一般読者が『万葉集』に親しむ土壌を築きました。江戸時代の契沖や賀茂真淵、本居宣長らの国学研究を踏まえつつ、近代的な言語学・文献学の視点を取り入れた平易かつ客観的な注釈・訓読を提示しました。 -
竹柏会(ちくはくかい)と『心のはな』
父・佐佐木弘綱とともに結成した和歌結社「竹柏会」の機関誌『心のはな』を通じて、万葉集の精神(万葉調)を重んじる歌人を多く育てました。歌人としての信綱自身の作品にも、万葉集由来の伸びやかで素朴・雄健な歌風が強く反映されています。
