大和の国のこころ、万葉のこころ

『万葉集』の鑑賞blogです。全歌について、訓読文・現代語訳・解説文を載せています。

玉に貫き消たず賜らむ・・・巻第8-1618

訓読 >>>

玉に貫(ぬ)き消(け)たず賜(たば)らむ秋萩(あきはぎ)の末(うれ)わくらばに置ける白露(しらつゆ)

 

要旨 >>>

玉として緒に貫いていただこう。秋萩の枝先にとりわけ置いている白露を。

 

鑑賞 >>>

 題詞に「湯原王(ゆはらのおほきみ)の娘子(をとめ)に贈れる歌」とあります。歌を贈った相手は、巻第4-631~641にある贈答歌の娘子と同一人かとも言われます。「玉に貫き」は、玉として緒に貫いて、で、下の「白露」を言ったもの。「消たず」は、他動詞「消つ」の未然形。「末」は、木の枝先または葉の先端。「わくらばに」は、原文に「和々良葉尓」とあるのを「和久良葉尓」の誤記とみて、とりわけの意とするほか、「わわらばに」と訓んで、たわむほど、乱れた葉、まばらな葉などと解する説があります。

 窪田空穂は、「(わわらばを)かりに疎らな葉とすると、その時の露のうち、最も大きく最も美しいものだったので玉を連想して、戯れの形で娘子にいったのであろう。形は戯れであるが、心ほ朝露の美しさを愛でた、本気なものである。いうような意味だとするとこの四、五句は、鋭敏な王の感情と、修辞の巧みさを示しているものである」と述べています。

 湯原王は天智天皇の孫、志貴皇子の子で、兄弟に光仁天皇・春日王・海上女王らがいます。天平前期、万葉後期の代表的な歌人の一人で、父の透明感のある作風をそのまま継承し、またいっそう優美で繊細であると評価されています。『万葉集』には19首の短歌が載っています。

 

 

白露(しらつゆ)

 『万葉集』では秋雑歌に集中して詠まれている語で、葉の上に置いた露が白く見えることからいう。「露」の歌語的表現で、「消ゆ」「起く」などを引き出す序詞に用いられることが多く、はかなさの象徴となっている。また「知ら」に掛けて用いることもある。もともと「しらつゆ」は、漢籍の「白露」によることも指摘されている。

 「白露(はくろ)」は二十四気の1つでもあり、立秋から30日目をさす。太陽暦の9月7日ごろで、それからの15日間、すなわち8月節をもいう。夜中に大気が冷え、草花や木々に美しい朝露が宿りはじめる時期の意。

湯原王の歌

 湯原王は、父である志貴皇子の歌風を継承しつつ、奈良時代中期以降の天平歌壇において優美で抒情豊かな恋歌・抒情歌を残した代表的歌人です。自然美や恋の切なさを非常にスマートかつ情緒的に表現し、天平期の歌人の中でも特に抒情性に秀でています。真骨頂はその恋歌にあり、相手を深く恋慕う情熱的な心境を直情径行に詠むのではなく、流麗で技巧的な調べに乗せて詠むのが特徴です。「目には見えずとも心で思う」といった、幻想的・内省的な心理描写にも長けています。そして、月や秋の夜、露といった風雅な自然の景物を好んで取り入れ、自らの恋心や孤独感と重ね合わせて表現しています。景物と感情の一体感が強く、視覚的・空間的な美しさがあります。また、古朴で重厚な初期万葉の歌風とは異なり、滑らかで整った三代集(古今和歌集など)の歌風に繋がるような、洗練された詞華的アプローチを見せます。そのように「個人の繊細な心理を優美な言葉で結晶化させる」スタイルの先駆者であり、後に続く王朝和歌の美意識の架け橋となった歌人といえます。

湯原王の歌(索引)

『万葉集』掲載歌の索引