訓読 >>>
3070
木綿畳(ゆふたたみ)田上山(たなかみやま)のさな葛(かづら)ありさりてしも今ならずとも
3071
丹波道(たにはぢ)の大江の山の真玉葛(またまづら)絶えむの心我が思はなくに
3072
大崎の荒礒(ありそ)の渡り延(は)ふ葛(くず)の行く方も無くや恋ひ渡りなむ
3073
木綿包(ゆふづつ)み [一云 畳(たたみ)] 白月山(しらつきやま)のさな葛(かづら)後(のち)もかならず逢はむとそ思ふ
要旨 >>>
〈3070〉田上山のさね葛が延び続けるように、このまま無事に生き延びていつかきっと逢いたい。今でなくとも。
〈3071〉丹波へ行く道にある大江山に玉葛が生えている。その玉葛が絶えないように、あなたとの縁が絶えるなどとは私は思っていません。
〈3072〉大崎の荒磯の渡し場で延びている葛のように、どこへ行くべきかも分からずに恋し続けることか。
〈3073〉白月山のさね葛の分かれて延びる蔓が、その先でまた絡まり合うように、必ず再び逢いたいと私は思っています。
鑑賞 >>>
作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」で、草に寄せての歌4首。3070の「木綿畳」は、神に捧げる幣帛の一つで、木綿を折り畳んだものとされます。手向け、あるいは畳のタの同音で「田上山」にかかる枕詞。「田上山」は大津市南部の山。「さな葛」はサネカズラで、別名ビナンカズラ。ビナンは「美男」のことで、昔はこの植物から採れる粘液を男性の整髪料として利用していました。上3句は、葛が延び続けることから「ありさりて」を導く序詞。「ありさりてしも」の「ありさりて」は、あり続けて。「し」は、強意の副助詞。「も」は、詠嘆の助詞。女の歌で、身辺に妨げが起こっているのを男に訴えたものとされます。
3071の「丹波道」は、山城国から丹波国へ行く街道で、山陰道の要路。「大江山」は、山城と丹波の国境にある山で、『日本書紀』『天武紀』8年11月の条に、そこに関が置かれた記事があります。「真玉葛」の「真・玉」は美称で、つる性の植物の総称。上3句は、そのつるが容易には切れないことから「絶えむ」を導く序詞。「思はなくに」は、「思はず」のク語法「思はなく」に格助詞「に」が付いたもので、詠嘆の意を持ちます。窪田空穂は「男より女に答えた歌で、男の疎遠にするのを恨んで、関係を絶えようとするのかと嘆いたのに対して、それを否定していったもの」と言っています。
3072の「大崎」は、和歌山市の加太の岬。「荒磯」は、険しい岩場が続く海岸。「渡り」は、渡し場。「葛」は秋の七草の一つで、根から良質の澱粉(くず粉)がとれます。上3句は、葛が這っていく先がない意で「行く方も無く」を導く譬喩式序詞。「行く方も無くや」の「や」は、疑問の係助詞。この言葉には、単に進む方向が分からないだけでなく、この恋が報われるのか、あるいは終わるのか、その見通しが全く立たないという絶望的な不透明感が込められています。窪田空穂は「遂げられる見込みのない片恋を久しくもしている男の嘆き」の歌だとして、「心細かく、しみじみとしていて、文芸的な匂いがある」と言っています。
3073の「木綿包」は他に例のない語で、木綿で包んだ物、何かを木綿で包んで神に供えたものとされますが、実態は不明。木綿が白いことから「白月山」の枕詞になっています。「白月山」は所在不明ながら、現在の三重県・亀山市付近の山かともいいます。上3句は、さな葛のつるが分かれても後にまた逢う意で「後も逢ふ」を導く譬喩式序詞。「逢はむとぞ思ふ」は、強調の「ぞ」+連体形の「思ふ」による係り結び。なお、「或る本の歌に曰く」として「絶えなむ妹を我が思はなくに」とあります。

『万葉集』クイズ
『万葉集』の歌に見える次の語句の意味を答えてください。
- 鄙(ひな)
- わたつみ
- もとほる
- もみつ
- 家づと
- たづき
- 奥処(おくか)
- おほほしく
- いちしろく
- もとな
【解答】 1.田舎、都から遠い地 2.海の神、または海そのもの 3.行ったり来たりする、あちらこちらを廻る 4.木の葉が色づく、紅葉する 5.家へのみやげ 6.方法、手段 7.将来、果て 8.かすかに、ぼんやりと 9.はっきりと 10.むやみに、わけもなく
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