大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

をみなへし秋萩折れれ・・・巻第8-1534

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をみなへし秋萩(あきはぎ)折れれ玉桙(たまほこ)の道行きづとと乞(こ)はむ子がため

 

要旨 >>>

女郎花も秋萩も手折っておきなさい。旅のおみやげは?と言ってせがむ愛しい妻のために。

 

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 作者の石川朝臣老夫(いしかわのあそみおきな)は、伝未詳、『万葉集』にはこの1首のみ。

 「をみなえし」は原文では「娘子部志」となっており、『万葉集』ではほかに「姫押」「姫部志」「佳人部志」などの字があてられています。この時代にはまだ「女郎花」の字は使われていませんでしたが、いずれも美しい女性を想起させるものです。「姫押」は「美人(姫)を圧倒する(押)ほど美しい」意を語源とする説もあるようです。「折れれ」は「折れり」の命令形。折っておきなさい。「玉桙の」は「道」の枕詞。「道行きづと」は、旅のみやげ。
 
 旅の帰途にあって、同行の誰かに語りかけた歌、あるいは帰途につく旅人を見送った時の歌でしょうか。その優しい心遣いと、みやげの花を受け取って喜ぶ妻の姿が思い浮かぶようです。

 

東歌(17)・・・巻第14-3572

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あど思(も)へか阿自久麻山(あじくまやま)の弓絃葉(ゆづるは)の含(ふふ)まる時に風吹かずかも

 

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いったい何をぐずぐずしているのか、阿自久麻山のユズリハがまだ蕾(つぼみ)の時だからといって、風が吹かないなんてことがあるものか。

 

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 「あど思へか」は何と思ってか。「あど」は「何と」の東語。「阿自久麻山」は所在未詳。「弓絃葉」はユズリハ。春、枝先に若葉が出て、初夏、その下に小花が咲きます。「含(ふふ)まる時」は、葉や花がまだ開き切らないでいる蕾(つぼみ)の時。「含(ふふ)む」は、もともと口の中に何かを入れる意で、その口がふくらんだ様子から蕾がふくらむ意に転じた語。ここでは、女が若く幼いことに譬えています。「風吹かずも」は、他の男が言い寄ることの譬え。ためらっている男に、他の男が言い寄るぞと、第三者がけしかけている歌です。何事も、先手必勝!

 

妹が袂をまかぬ夜もありき・・・巻第11-2547

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斯(か)くばかり恋ひむものぞと念(おも)はねば妹(いも)が袂(たもと)をまかぬ夜(よ)もありき

 

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こんなに恋しくなるとは思わなかったから、一緒にいても、お前と寝ない夜もあった。

 

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 「妹が袂をまかぬ」は、妻の手枕をしないで寝ること。一緒にいた時はそっけなくしたこともあったけど、旅に出て逢えなくなり、しみじみと妻の大切さを噛みしめている歌です。

 

秋の夜の月かも君は・・・巻第10-2299

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秋の夜(よ)の月かも君は雲隠(くもがく)りしましく見ねばここだ恋しき

 

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あなたは秋の夜の月なのでしょうか。しばらくの間雲に隠れて見えなくなっただけで、こんなに恋しくてならないなんて。

 

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 雲に隠れて、ほんの少しの間でも見えないと、たちまち気になってそわそわしてしまう、だからもっとたくさん逢いに来てほしいと、言外にいじらしくお願いしている歌です。「君」は夫のこと。「しましく」は、しばらく。「ここだ」は、甚だしく、たいそう。

 

東歌(16)・・・巻第14-3430

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志太(しだ)の浦を朝(あさ)漕(こ)ぐ船は由(よし)なしに漕ぐらめかもよ由(よし)こさるらめ

 

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志太の浦を朝早く漕いで行く舟は、わけもなくあんなに急いで漕いでいるのだろうか。そんな筈はない、きっとわけがあって漕いでいるに違いない。

 

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 駿河の国(静岡県中部)の歌。「志太の浦」は、大井川の河口とされます。男が、朝早くから、何処へ行くともなく舟を漕ぎ回っているのは、そこに好きな女の家があるからで、その不自然な動きを見て、「由こさるらめ(きっとわけがあるのだろう)」と言ってからかっている歌です。用もないのに、好きな人のそばに行ってしまうのはよくあることですが、やり過ぎてストーカー行為と間違われないように注意しなくてはなりません。

 

見わたせば近き渡りをた廻り・・・巻第11-2379

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見わたせば近き渡りをた廻(もとほ)り今か来(き)ますと恋ひつつぞ居(を)る

 

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見渡すと、近い渡り場所なのに、回り道をしながらあなたがいらっしゃるのを、今か今かと待ち焦がれています。

 

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 「渡り」は、舟の渡し場にも言いますが、ここでは野の二つの場所の隔たりのこと。「た廻り」は行ったり来たりして、回り道をして。「今か来ます」の「か」は疑問。人目を避けて回り道をしてやって来る男を待っている歌、あるいは、先の見通せる近道のような恋ではなく、回り道をしてでもいつか必ず叶えたいという意味にもとらえられます。

 

見れば恐し見ねば悲しも・・・巻第7-1369

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天雲(あまくも)に近く光りて鳴る神の見れば恐(かしこ)し見ねば悲しも

 

要旨 >>>

遙か遠い天雲の近くで光って鳴る雷は、見るからに恐ろしいけれど、見なければ見ないで悲しい。

 

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 「天雲」は空にある雲。「鳴る神」は「雷」のことで、身分の高い男に譬えています。近くにいると緊張して何もできなくなってしまうけれど、まったく姿が見られないのは寂しいと、恋のジレンマが詠われています。まーしかし、身分が違わなくとも、恋する相手の前では、誰もがこんなふうになるのではないでしょうか。