大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

吾が齢し衰へぬれば・・・巻第12-2952

訓読 >>>

吾が齢(よはひ)し衰(おとろ)へぬれば白細布(しろたへ)の袖のなれにし君をしぞ思ふ

 

要旨 >>>

おれも年を取って体も衰えてしまったが、今しげしげと通わなくても、長年馴れ親しんだお前のことが思い出されてならない。

 

鑑賞 >>>

 作者未詳の「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。「白細布の」は「袖」の枕詞。「白細布の袖の」は、「なれ」を導く序詞。「なれにし」は「馴れ」と「萎(な)れ」の掛詞になっており、馴れ親しんだ意と、使用して馴染んで皺くちゃになる有様を言っています。年衰えた男が長年連れ添った妻を有り難く思っている歌と解しましたが、「君」とあるので女が男を思う歌とも取れます。

 

石麻呂に我れ物申す・・・巻第16-3853~3854

訓読 >>>

3853
石麻呂(いしまろ)に我(わ)れ物申す夏痩(なつや)せによしといふものぞ鰻(むなぎ)捕(と)り食(め)せ

3854
痩(や)す痩すも生けらばあらむをはたやはた鰻(むなぎ)を捕ると川に流るな

 

要旨 >>>

〈3853〉石麻呂さんにあえて物申しましょう。夏痩せによく効くというウナギを捕ってお食べなさい。

〈3854〉(いや待てよ)いくら痩せていても生きてさえいればいいのだから、万が一にも鰻を捕ろうとして川に流されたりするな。

 

鑑賞 >>>

 吉田連老(よしだのむらじおゆ)、通称、石麻呂という人がおり、生まれつき体がひどく痩せていて、どれほどたくさん食べても、姿は飢饉のときのようであった。そこで大伴家持がこの歌を詠んでからかった、と左注にあります。石麻呂は、百済から渡来した医師・吉田連宜(よしだのむらじよろし)の息子で、家持とは父の旅人とともに親交があったようです。「むなぎ」は、鰻の古名。3854の「はたやはた」は、万が一にも。

 史料上で鰻が初出となるのが家持のこの歌です。土用の丑の日に鰻を食べるようになったのは、江戸時代の蘭学者平賀源内の発案によるとされますが、はるか上代のころに、すでに夏痩せには鰻がいいとされていたことが窺えます。もっとも当時は、今のように開いて蒸したり焼いたりする蒲焼ではなく、鰻を丸ごと火にあぶって切り、酒や醤(ひしお)などで味付けしたものを山椒や味噌に付けて食べていたといいます。あまり美味しそうではありません。

 

天雲のそきへの極み・・・巻第19-4247

訓読 >>>

天雲(あまくも)のそきへの極(きは)み我(あ)が思へる君に別れむ日近くなりぬ

 

要旨 >>>

天雲の果てまでも限りなく思っている母上に、お別れしなければならない日が近くなりました。

 

鑑賞 >>>

 阿倍朝臣老人(あべのあそみおゆひと:伝未詳)が遣唐使の随員として唐に渡る直前に、母にさし上げた悲別の歌。「老人」は名であって、年寄りの意味ではありません。「そきへ」は、遠方。敬愛する母を残して旅立つ子の苦悩であり、シングルマザーの一人っ子の歌のように感じられます。

 

東歌(32)・・・巻第14-3565

訓読 >>>

かの子ろと寝(ね)ずやなりなむはだすすき宇良野(うらの)の山に月(つく)片寄るも

 

要旨 >>>

今夜はあの子と共寝することなく終わりそうだ。はだすすきの繁る宇良野の山に月が傾いてきた。

 

鑑賞 >>>

 「はだすすき」は穂を出した薄で、「宇良野」の枕詞。「宇良野」は、長野県上田市浦野か。「月(つく)」は月の東語。女の許に向かっている男が、月が傾いたのを見て、行き着いたら夜明けになるのではないかと焦っている歌です。万葉の恋人たちはどんなにお熱い中でも、会えるのはひと月に十日くらいがせいぜいだったといいます。その理由はすべて月にあり、三日月の頃から通い、闇夜では会うことができなかったのです。

 

常世にと我が行かなくに・・・巻第4-723~724

訓読 >>>

723
常世(とこよ)にと 我(わ)が行かなくに 小金門(をかなと)に もの悲(がな)しらに 思へりし 我(あ)が子の刀自(とじ)を ぬばたまの 夜昼(よるひる)といはず 思ふにし 我(あ)が身は痩せ(や)せぬ 嘆くにし 袖(そで)さへ濡(ぬ)れぬ かくばかり もとなし恋ひば 故郷(ふるさと)に この月ごろも ありかつましじ

724
朝髪(あさかみ)の思ひ乱れてかくばかりなねが恋ふれそ夢(いめ)に見えける

 

要旨 >>>

〈723〉あの世に私が行ってしまうわけでもないのに、門口で悲しそうにしていた我が子よ。留守中に私に代わってつとめる刀自(主婦)のことを思うと、夜も昼も心配で私はやせてしまった。嘆くあまりに着物の袖は涙で濡れてしまった。これほど気がかりでやたらに恋しくては、ここ故郷の跡見の庄には、そう何か月もいられないだろう。

〈724〉寝起きの髪のように思い乱れて、おねえちゃんのお前が恋しがるからか、夢にお前の姿が出てくる。

 

鑑賞 >>>

 大伴坂上郎女が、何某かの用事で出かけて行った跡見(とみ)の庄(たどころ)から、奈良の家に留まっている娘の大嬢に贈った歌。「跡見の庄」は、桜井市外山にあったのではないかとされる大伴氏の田所(たどころ:領地)。「大嬢」は郎女の長女で、後の大伴家持の妻。なお、左注に「大嬢が奉る歌に報へ賜ふ」とありますが、大嬢が郎女に贈った歌は残っていません。わずかな期間の別れにもかかわらず、ずいぶん寂しがっていたのでしょう。

 723の「常世」は、ここでは死後の国。「小金門」の「小」は接頭語、「金門」は門とされるものの、どのような門か未詳。「刀自」は、家の主婦。ここでは、母親の留守中、主婦の立場にある相手、すなわち娘の大嬢をこう呼んだもの。「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「もとな」は、やたらに、みだりに。「し」は、強意。「故郷」は、ここでは跡見。724の「朝髪の」は「思ひ乱る」の枕詞。「なね」は、弟や妹が姉に対していう呼称を母が用いたもの。

 詩人の大岡信は、この長歌を通じて浮かびあがる娘大嬢の姿には実に可憐なものがある、として、次のように言っています。「彼女は、母が大伴家の荘園にしばらく滞在しに出かける時、門口に立って『もの悲しらに』うち沈んだ表情で見送っている。その様子は、まるで母親が二度と帰ってこないと思っているかのように、うちしおれていたので、母の目にそれが焼き付いた。それが気になって仕方がない母の情がこの一編の長歌のモチーフだが、娘のこうした肖像を描くのに、門口にたたずんでいる印象的な姿だけをとりだしてきたのは坂上郎女の手腕。この単純化によって、歌の中の娘の姿は生彩を放つものになった」

 

うつつにか妹が来ませる・・・巻第12-2917

訓読 >>>

うつつにか妹(いも)が来ませる夢(いめ)にかも我(わ)れか惑(まど)へる恋の繁(しげ)きに

 

要旨 >>>

実際に彼女がやってきたのか、それとも夢なのか、あるいは私が取り乱しているのか、恋の激しさのために。

 

鑑賞 >>>

 作者未詳の「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。「うつつ」は、現実。この歌について作家の大嶽洋子は、「後世の伊勢物語の下地ではないかと思われるような物語性のある歌である。妹に対して『来ませる』などと敬語を使っているところは、伊勢物語第69段の斎宮と昔男との月夜の出来事を思わせる。夢に私が迷ったのか、それとも現実に恋人がやって来たのだろうかと複雑な現実と夢の世界の織りなす幻覚を詠っている。迷う男にとってどちらも真実の世界なのだろう」と述べています。

 

平群女郎が大伴家持に贈った歌(2)・・・巻第17-3937~3942

訓読 >>>

3937
草枕(くさまくら)旅(たび)去(い)にし君が帰り来(こ)む月日を知らむすべの知らなく

3938
かくのみや我(あ)が恋ひ居(を)らむぬばたまの夜(よる)の紐(ひも)だに解(と)き放(さ)けずして

3939
里近く君が業(な)りなば恋ひめやともとな思ひし我(あ)れぞ悔(くや)しき

3940
万代(よろづよ)に心は解けて我が背子(せこ)が捻(つ)みし手見つつ忍(しの)びかねつも

3941
うぐひすの鳴くくら谷にうちはめて焼けは死ぬとも君をし待たむ

3942
松の花(はな)花数(はなかず)にしも我(わ)が背子(せこ)が思へらなくにもとな咲きつつ

 

要旨 >>>

〈3937〉(越中に)旅立ってしまったあなたが、いつ帰って来られるのか、その月日を知る手がかりさえも分からなくて。

〈3938〉このようにばかり、いつまでも恋い焦がれているのでしょうか。夜の衣の紐も解き放たずに。

〈3939〉私の里近くにあなたが日々を過ごしていらっしゃれば、恋い焦がれることなどあろうかと、わけもなく思っていた私が、今では悔しくてなりません。

〈3940〉いついつまでも変わるまいと心を解いて、あなたがつねった手を見ていると、耐え難くなります。

〈3941〉鴬が鳴く深い谷間に身を投げて、たとえ焼け死ぬようなことがあろうと、ただあなたをお待ちしています。

〈3942〉松の花が花の数にも入らないと、あなたは思っていらっしゃるけれど、心もとなくも咲いています。

 

鑑賞 >>>

 平群女郎(へぐりのいらつめ:伝未詳)が、越中に旅立った家持に贈った歌の続き。都からの折々の使いに託して贈ったもの、との左注があります。3937の「草枕」は「旅」の枕詞。国守の任期はふつう4年でしたが、若い女郎にとっては遥かに遠い先のことに思えたとみえます。「来む」「知らむ」「知らなく」と同じ形が重なっているところから、作歌の不馴れが窺える歌となっています。3938の上2句は慣用句。「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。3939の「もとな」は、わけもなく。3940の「捻む」は、つねる。『万葉集』には珍しく男女間の戯れの具体的行為が表現されています。3941の「くら谷」は、谷間。3942の「もとな」は、わけもなく、心もとなくも。

 一連の平群女郎の歌については、古歌との類同表現が多い、また表現がこなれていない印象がある等の理由から、必ずしも高く評価されていないものの、ままならない恋にひっそり悩む乙女心の動揺がしみじみと感じられます。詩人の大岡信は、「平群女郎の歌には、笠女郎の捨て身の激しさがなく、相手の優位性を意識している教養豊かな女性が、つつましやかに恋歌を詠んでいるという感じがする」と述べています。なお、ここには女郎の歌があるのみで、家持の歌はありません。おそらく返しをしなかったものとみられます。冷たい男です。