大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

東歌(11)・・・巻第14-3428

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安達太良(あだたら)の嶺(ね)に臥(ふ)す鹿猪(しし)のありつつも我(あ)れは至らむ寝処(ねど)な去りそね

 

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安達太良山の鹿猪(しし)がいつも同じねぐらに帰って寝るように、私も毎晩通ってきて共寝をしようと思うから、そのまま寝床を変えないでいてほしい。

 

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 「安達太良の嶺」は福島県二本松市の西方にある安達太良山。現在では日本百名山の一つに数えられている、標高1700mの美しい山です。「臥す鹿猪の」は、そこを臥所としている鹿猪で、猪鹿は一たび臥所と定めたところは、けっして他に移さない習性を持っているところから、譬喩として「ありつつ」にかかる序詞となっています。「ありつつも」は、いつまでも。「な去りそね」の「な~そね」は禁止。

 男が女に対し、自分の変わらぬ愛を誓い、女にもそうあってほしいと言っています。序詞の内容から、作者は狩猟を生業にしていた人ではないかとされ、その僕実さがうかがえる歌となっています。

 

卯の花の咲き散る岡ゆ・・・巻第10-1976~1977

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1976
卯(う)の花の咲き散る岡ゆ霍公鳥(ほととぎす)鳴きてさ渡る君は聞きつや

1977
聞きつやと君が問はせる霍公鳥(ほととぎす)しののに濡れてこゆ鳴き渡る

 

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〈1976〉卯の花が咲き散る岡の上を、霍公鳥が鳴いて渡っていきましたよ、あなたは聞きましたか?

〈1977〉鳴き声を聞いたかとお尋ねの霍公鳥は、びっしょりと濡れながら、ここから鳴いて渡っていきました。

 

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 卯の花が散ると、霍公鳥(ほととぎす)はその地を去らねばならないと考えられていたようです。1976は妻が夫に贈った歌で、霍公鳥が、私が住んでいる岡を通って、そちらへ鳴いて行きましたが、あなたは聞きましたかといって、夫のあわれを汲む心を問うと同時に、夫の自分に対する心の足りないのを織り交ぜていったものです。「岡ゆ」の「ゆ」は、~を通って。「さ渡る」の「さ」は接頭語。

 1977は、それに対し夫が答えた歌。「問はせる」は「問ふ」の敬語。「しののに」は「しとどに」の古語で、びっしょりと。雨か霧によってびっしょりと濡れた霍公鳥を、あわれを知る自分の涙に濡れて、の意でいっています。いずれの歌も、それぞれの気持ちを婉曲的に込め、技巧を凝らした味わい深い歌となっています。

 

蝦鳴く神奈備川に影見えて・・・巻第8-1435

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蝦(かはず)鳴く神奈備川(かむなびがは)に影(かげ)見えて今か咲くらむ山吹(やまぶき)の花

 

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河鹿(かじか)の鳴く神奈備川に影を映して、今は咲いているだろうか、山吹の花は。

 

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 厚見王(あつみのおおきみ)が、山吹の咲く頃に、以前に見たことのある甘南備川の岸辺の山吹を思い出して詠んだ歌。「蝦」はカジカガエル。「神奈備川」は神が鎮座する地を流れる川の意で、竜田川または明日香川。厚見王は系譜未詳ながら、続紀に、天平勝宝元年従五位下を授けられ、天平宝字元年従五位上を授けられたことが記されており、『万葉集』には3首の歌を残しています。

 この歌は、平安朝時代に特に愛され、斉藤茂吉は、「こだわりのない美しい歌である」として、「この歌が秀歌としてもてはやされ、六帖や新古今に載ったのは、流麗な調子と、『かげ見えて』、『今か咲くらむ』という、いくらか後世ぶりのところがあるためで、これが本歌になって模倣せられたのは、その後世ぶりが気に入られたものである。『逢坂の関の清水にかげ見えて今や引くらむ望月の駒』(拾遺・貫之)、『春ふかみ神なび川に影見えてうつろひにけり山吹の花』(金葉集)等の如くに、その歌調なり内容なりが伝播している」と述べています。

 

立山に降り置ける雪を・・・巻第17-4000~4002

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4000
天離(あまざか)る 鄙(ひな)に名かかす 越(こし)の中(なか) 国内(くぬち)ことごと 山はしも しじにあれども 川はしも 多(さは)に行けども 統神(すめかみ)の 領(うしは)きいます 新川(にひかは)の その立山(たちやま)に 常夏(とこなつ)に 雪降り敷(し)きて 帯(お)ばせる 片貝川(かたかひがは)の 清き瀬に 朝夕(あさよひ)ごとに 立つ霧(きり)の 思ひ過ぎめや あり通(がよ)ひ いや年のはに よそのみも 振(ふ)り放(さ)け見つつ 万代(よろづよ)の 語らひぐさと いまだ見ぬ 人にも告げむ 音(おと)のみも 名のみも聞きて 羨(とも)しぶるがね

4001
立山(たちやま)に降り置ける雪を常夏(とこなつ)に見れども飽(あ)かず神(かむ)からならし

4002
片貝(かたかひ)の川の瀬清く行く水の絶ゆることなくあり通(がよ)ひ見む

 

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〈4000〉都から遠く離れた地でも特に名の聞こえた立山、この越中の国の中には、至るところに山が連なり、川も多く流れているけれど、国の神が支配しておられる、新川郡のその立山には、夏の真っ盛りだというのに雪が降り積もっており、帯のように流れ下る片貝川の清らかな瀬に、朝夕ごとに立ちこめる霧のように、この山への思いが消えることがあろうか。ずっと通い続けて年が変わるごとに、遠くからなりとも振り仰いで眺めては、万代の語りぐさとして、まだ立山を見たことがない人々にも語り告げよう。噂だけでも名を聞いただけでも羨ましがるように。

〈4001〉立山に降り積もっている雪を、夏の真っ盛りに見ても見飽きることがないのは、この山の貴さのせいであろう。

〈4002〉片貝川の瀬を清らかに流れる水のように、絶えることなく、ずっと通い続けてあの立山を見よう。

 

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 題詞に「立山の賦」とある大伴家持作の長歌と短歌。「賦」というのは古代中国の韻文における文体の一つですが、ここでは詩歌の意味。越中国府から眺望できた「立山」は、富山県の東南部にそびえる立山連峰で、主峰の雄山は標高3,003mあります。古くは「多知夜麻」と称し、神々が宿る山々として信仰されてきました。

 4000の「天離る」は「鄙」の枕詞。「越」は北陸地方の古称で、福井・石川・富山・新潟の4県にあたります。「ことごと」は残らず、ある限り。「しじに」は数多く。「統神」は一定の地域を支配する神のこと。「領く」は土地を支配する。「新川」は越中の東半分の郡。「片貝川」は立山の北の猫又山に発し、魚津で富山湾に注ぐ川。「年のは」は毎年。「羨しぶる」はうらやましがる。「がね」は願望の助詞。

 4001の「神からならし」は、この山の神の貴さのせいであろう。「ならし」は「なる・らし」の転。4002の上3句は「絶ゆることなく」を導く序詞。「あり通ひ」は通い続け。

 

わが背子が着せる衣の・・・巻第4-514~516

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514
わが背子(せこ)が着せる衣(ころも)の針目(はりめ)落ちず入りにけらしもわが情(こころ)さへ

515
ひとり寝(ね)て絶えにし紐(ひも)をゆゆしみとせむすべ知らに音(ね)のみしそ泣く

516
わが持てる三(み)つあひに縒(よ)れる糸もちて付(つ)けてましもの今そ悔(くや)しき

 

要旨 >>>

〈514〉あなたに縫ってさしあげる着物の針目は、すっかり仕上がりました、糸といっしょに私の心も縫い込んで。

〈515〉独り寝をしていたら紐が切れて、縁起でもないと、どうしていいか分からず声を出して泣いている。

〈516〉私が持っているこの丈夫な三つ搓(よ)りの糸で付けてあげればよかったと、今になって悔やんでいます。

 

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 514・516は阿倍女郎(あべのいらつめ)の歌、515は中臣東人(なかとみのあずまひと)の歌。514は、女郎が東人に贈った着物に添えた歌とみられます。当時は、夫の着物は妻の手によって作られ、糸の入手から始まり、織り、染め、縫うことまでの一切をやっていました。「針目」は針の縫い目。「落ちず」は残らず全部。515では、せっかく全部縫ってくれたのに、紐が切れてしまい縁起が悪いと大げさに言っており、516では、それをまともに受けながらもからかっているようです。「三つあひ」は3筋の糸を搓り合わせたもので、丈夫なものの意。

 阿倍女郎は、持統・文武朝ころの女性ですが、伝未詳です。中臣東人は、巻第15後半の歌群に登場する中臣宅守の父で、母は藤原鎌足の娘にあたります。

 

海は荒るとも採らずはやまじ・・・巻第7-1317

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海(わた)の底(そこ)沈(しづ)く白玉(しらたま)風吹きて海は荒(あ)るとも採(と)らずはやまじ

 

要旨 >>>

海の底に沈んでいる真珠は、どんなに風が吹き海は荒れても、手に採らずにおくものか。

 

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 「玉に寄せる」歌で、玉(真珠)を深窓の美女に譬えている男の歌です。作歌の田辺聖子さんはこの歌が好きだとして、次のように評しています。

「”採らずはやまじ”という強い表現が、むきだしで飾りけなくていい。民謡風な平明な歌で、ことさら深い味わいの名歌というのではないが、譬喩の真珠と、たくましい海人の男とのとり合せが好もしい。花束を持つのは女より男のほうが似合わしく、お茶の席で男がかしこまって座っているのも、女のそれより好ましい。すべて柔と剛、硬と軟のとり合せはイメージを触発してたのしい」

 

このころの我が恋力・・・巻第16-3858~3859

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3858
このころの我(あ)が恋力(こひぢから)記(しる)し集め功(くう)に申(まを)さば五位の冠(かがふり)

3859
このころの我(あ)が恋力(こひぢから)給(たま)らずは京兆(みさとづかさ)に出(い)でて訴(うれ)へむ

 

要旨 >>>

〈3858〉近ごろ、私が恋に費やしている労力を記録して集め、功績に換算して願い出たら、五位の冠に匹敵するだろう。

〈3859〉このところの恋に費やした私の労力にごほうびを頂けないなら、京の役所に行って訴え出てやる。

 

鑑賞 >>>

 恋の苦しさを、労役や位階昇進にたとえ、自身を滑稽に歌っている男の歌です。3858の「恋力」は恋に要した苦労。「功」は功績。「申さば」は上申したならば。当時の官人の人事制度では、考課令に、官人は自らの行跡の功過を記録して上申することと定められていました。「五位」は宮中の位階で、五位以上が貴族とされ、庶民や下級官人からみれば雲の上の存在でした。

 3859の「給らずば」は、里に住んでいる者に対し、里長がくれる賞のことを言っています。「京兆」は、本来は都の警察・司法・行政を司る役所のことで、右京と左京に分かれ、左右2人の長官がいました。ただし官人の人事は管轄外でしたから、ここでは広く都の役所の意味で言っているようです。