大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

防人の歌(35)・・・巻第20-4404

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難波道(なにはぢ)を行きて来(く)までと我妹子(わぎもこ)が付けし紐(ひも)が緒(を)絶えにけるかも

 

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難波道を行って帰ってくるまではと、妻が縫い付けてくれた着物の紐が切れてしまった。

 

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 上野国の防人の歌。「難波道を行きて来まで」は、難波へ行く道を通って、またここへ帰って来るまで。切れないだろうと思っていた紐が切れてしまい、何か不吉なことが起きなければいいが、と心配している歌です。

 徴発された防人は、難波津までの道のりを、防人部領使(さきもりのことりづかい)によって引率されますが、部領使は馬や従者を連れていますから、当人は馬に乗り、荷物も従者に持たせています。しかし、防人たちは自ら荷物を抱えての徒歩のみで、夜は寺院などに泊まることができなければ野宿させられました。

 

繩の浦ゆそがひに見ゆる・・・巻第3-357~359

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357
繩(なは)の浦ゆそがひに見ゆる沖つ島 漕(こ)ぎ廻(み)る舟は釣りしすらしも

358
武庫(むこ)の浦を漕(こ)ぎ廻(み)る小舟(をぶね)粟島(あはしま)をそがひに見つつ羨(とも)しき小舟

359
阿倍(あへ)の島 鵜(う)の住む磯(いそ)に寄する波 間(ま)なくこのころ大和(やまと)し思ほゆ

 

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〈357〉縄の浦の背後に見える沖合の島、その島の辺りを漕ぎめぐっている舟は、釣りをしている最中のようだ。

〈358〉武庫の浦を漕ぎめぐっている小舟は、粟島を後ろに見ながら都の方へ漕いで行く。ほんとうに羨ましい小舟よ。

〈359〉阿倍の島の、鵜の棲む磯に絶え間なく波が打ち寄せている。その波のように、この頃はしきりに大和が思われる。

 

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 山部赤人による瀬戸内の羈旅歌。357の「縄の浦」は、兵庫県相生市那波の海岸。「そがひ」は、後ろの方。358の「武庫の浦」は、武庫川の河口付近。「粟島」は、淡路島、播磨灘の島、四国の阿波など諸説あります。359の「阿倍の島」は未詳ながら、大阪市阿倍野区とする説があります。上3句は「間なく」を導く序詞。

 山部赤人奈良時代の初期から中期にかけて作歌がみとめられる宮廷歌人(生没年未詳)です。『古今和歌集』には「人麻呂は赤人が上に立たむこと難く、赤人は人麻呂が下に立たむこと難くなむありける」と記されており、柿本人麻呂としばしば並び称されます。彼が活躍した時期は、人麻呂より20年ほど後で、聖武天皇即位の前後から736年までの歌(長歌13首、短歌37首)が『万葉集』に残っています。

 

【為ご参考】『万葉集』に関する後人の言葉

  • 万葉調を以て凡百の物事を詠まんとならば大体において賛成致候。
    正岡子規
  • 作歌を万葉集から学ぶといふときに、単に万葉の「精神」といふもののみを引離しては学ばない。その言葉も形式も引くるめて学ぶ。
    斎藤茂吉
  • 万葉集の歌は、この道の親なるから、歌ゆむ人の先読みつべきふみ也。
    上田秋成
  • 万葉集は殊のほか古代のものなれば、今の詠格には証拠としがたきこと多し。万葉集は格別に古い時代のものなので、今の歌の詠み方には拠りどころとし難い事が多い)
    本居宣長
  • それ歌書の中には万葉集より古きはなし。これを学ばずば歌学といふべからず。
    ~荷田在満
  • 万葉集は只(ただ)和歌の竈(かまど)にて、箱の中に納めて持つべし。常に披(ひら)き見て好み読むべからず。万葉集はまさしく和歌の竈ともいうべき大切なものであるから、箱の中に納めて持っているのがよい。いつも開いてやたらに好み読んではならない。和歌の詠み口を損なうものである)
    ~藤原顕季
  • 集は、古万葉。古今。(和歌の集は、なにより万葉集であり、古今集である)
    清少納言
  • 万葉集の歌はすべて丈夫(ますらを)の手振(てぶり)なり。万葉集の歌はすべてたくましい男子の風体である)
    賀茂真淵
  • 万葉集』は、愛と恋の聖書。
    永井路子
  • 万葉人にとって、恋とは「孤悲(こひ)」であった。好きな人と離れていて独り悲しむこと。それが恋であった。
    伊藤博

 

斎藤茂吉

東歌(37)・・・巻第14-3499

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岡に寄せ我(わ)が刈る萱(かや)のさね萱(かや)のまことなごやは寝(ね)ろとへなかも

 

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陸の方に引き寄せながら刈っている萱のように、あの娘は、ほんに素直に私に寝ようと言ってくれない。

 

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 上3句は「なごや」を導く序詞。「なごや」は、柔らかいもの。ここでは女性の比喩。口説いても応じない女のことを思い、嘆息している歌です。ただ、「寝ろとへなかも」は、寝ようと言うのかな、とも解されます。窪田空穂はこの歌について、「この種の歌としては、心細かい、語のこなれた、すぐれたものである」と述べています。

 

巻第14と東歌について

 巻第14は「東国(あづまのくに)」で詠まれた作者名不詳の歌が収められており、巻第13の長歌集と対をなしています。国名のわかる歌とわからない歌に大別し、それぞれを部立ごとに分類しています。当時の都びとが考えていた東国とは、おおよそ富士川信濃川を結んだ以東、すなわち、遠江駿河・伊豆・相模・武蔵・上総・下総・常陸信濃・上野・下野・陸奥の国々をさしています。『万葉集』に収録された東歌には作者名のある歌は一つもなく、また多くの東国の方言や訛りが含まれています。

 もっともこれらの歌は東国の民衆の生の声と見ることには疑問が持たれており、すべての歌が完全な短歌形式(五七五七七)であり、音仮名表記で整理されたあとが窺えることや、方言が実態を直接に反映していないとみられることなどから、中央側が何らかの手を加えて収録したものと見られています。また、東歌を集めた巻第14があえて独立しているのも、朝廷の威力が東国にまで及んでいることを示すためだったとされます。

吾妹子に猪名野は見せつ・・・巻第3-279~281

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279
吾妹子(わぎもこ)に猪名野(ゐなの)は見せつ名次山(なすきやま)角(つの)の松原いつか示さむ

280
いざ子ども大和へ早く白菅(しらすげ)の真野(まの)の榛原(はりはら)手折(たを)りて行かむ

281
白菅(しらすげ)の真野(まの)の榛原(はりはら)往(ゆ)くさ来(く)さ君こそ見らめ真野の榛原

 

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〈279〉いとしい妻よ、お前に猪名野は見せた。今度は名次山と角の松原を、早く見せてやりたいものだ。

〈280〉さあみんな、大和へ早く帰ろう。白菅の茂る真野の榛(はん)の木の林で小枝を手折って行こう。

〈281〉白菅の生い茂る真野の榛原を、あなたは往き来にいつもご覧になっているのでしょう。私は初めてです、この美しい真野の榛原は。

 

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 高市黒人夫妻が従者と共に真野へ遊覧に行った時に詠まれたもので、279は黒人が妻に与えた歌、280は従者たちに呼びかけた歌、281は黒人の妻が答えた歌です。279の「猪名野」は、現在の兵庫県伊丹市から尼崎市あたりの猪名川流域の平野で、伊丹空港がある辺り。「名次山」は、西宮市名次町の丘陵。「角の松原」は、西宮市松原町の海岸。280の「子ども」は、若い人々や目下の者に親しんで呼びかけた語。「白菅の」は「真野」の枕詞で、「真野」は、神戸市長田区真野町の辺り。「榛原」は、ハンノキの生えている原。ハンノキはカバノキ科の落葉高木。遊覧を十分に楽しんで後、主人である黒人が帰りを促すために詠んだ歌のようです。281の「白菅の」は枕詞。黒人が「早く帰ろう」と促すのに対し、もっと遊覧を続けたいとの気持ちを込めていると見えます。

 

遠妻し多珂にありせば・・・巻第9-1744~1746

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1744
埼玉(さきたま)の小埼(をさき)の沼に鴨(かも)ぞ羽(はね)霧(き)る 己(おの)が尾に降り置ける霜を掃(はら)ふとにあらし

1745
三栗(みつぐり)の那賀(なか)に向へる曝井(さらしゐ)の絶えず通はむそこに妻(つま)もが

1746
遠妻(とほづま)し多珂(たか)にありせば知らずとも手綱(たづな)の浜の尋ね来(き)なまし

 

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〈1744〉埼玉の小埼の沼で、鴨が羽ばたいてしぶきを飛ばしている。尾に降り置いた霜を払いのけようとしているらしい。

〈1745〉那賀の向かいにある曝井の水が絶え間なく湧くように、絶えず通おう。そこで布を洗う女たちの中に、都の妻がいるかもしれない。

〈1746〉遠く大和にいる妻がここ多珂郡にいるとすれば、たとえ道がわからなくても、私が今いる手綱の浜の名のように、私を訪ねて来てくれるだろうに。

 

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 高橋虫麻呂常陸国に赴任していた時の作。1744は、旋頭歌形式の歌。「小埼の沼」は、埼玉県行田市の埼玉にあった沼。1745の上3句は「絶えず」を導く序詞。「三栗の」は「那賀」の枕詞。「那賀」は、常陸国那賀郡。「曝井」は、水戸市愛宕町の滝坂の泉とされ、村の女たちが洗濯した布を曝すためにこの名がついたといいます。1746の「手綱の浜」は、茨城県高萩市の海岸。「多珂」は、茨城県にあった郡。1745・1746は、遠い旅先で都の妻が現れるという非現実的なことを空想し、それをひそかに願う心を詠っています。

 

百足らず山田の道を・・・巻第13-3276~3277

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3276
百(もも)足らず 山田(やまだ)の道を 波雲(なみくも)の 愛(うつく)し妻(づま)と 語らはず 別れし来れば 早川の 行きも知らず 衣手(ころもで)の 帰りも知らず 馬(うま)じもの 立ちてつまづき 為(せ)むすべの たづきを知らに もののふの 八十(やそ)の心を 天地(あめつち)に 思ひ足(た)らはし 魂(たま)合はば 君来ますやと 我(わ)が嘆く 八尺(やさか)の嘆き 玉桙(たまほこ)の 道来る人の 立ち留(と)まり 何かと問はば 答へやる たづきを知らに さ丹(に)つらふ 君が名言はば 色に出でて 人知りぬべみ あしひきの 山より出づる 月待つと 人には言ひて 君待つ我(わ)れを

3277
寐(い)も寝ずに我(あ)が思(おも)ふ君はいづく辺(へ)に今夜(こよひ)誰(たれ)とか待てど来(き)まさぬ

 

要旨 >>>

〈3276〉山田の道を、いとしい妻とろくに睦み合いもせず、別れてはるばるやってきたので、早瀬のようにさっさと行く手も分からず、といって翻る袖のように帰るわけにもいかず、馬の躓くように立ちすくんだまま、どうしてよいか分からない。千々に乱れる思いが天地を漂うばかりに広がって・・・。(ここまで男性の心情)
 そのようにして二人の魂が通じ合えば、あの人はやって来るかと深い溜息をつき、道をやって来る人が立ち止まって、どうしたのかと問われたら、どう答えていいか分からず、さりとてあの人の名を口にしたら、思いが顔に出て人に知れてしまう。山から出る月を待ってるとその人には答えて、あなたをお待ちしている私です。(後半は女性の心情)。

〈3277〉寝るに寝られずに私が思い続けているあの人は、いったいどのあたりで、今夜は誰かと逢っているだろう。いくら待ってもいらっしゃらない。

 

鑑賞 >>>

 3276の前半は旅立つ男の心情が歌われ、後半は男を待つ女の心情が歌われています。しかし、夫が旅に出て、妻は夫の妻問いを待つというのはやや整合性に欠けるため、別々の歌をつなぎ合せたものであるとか、酒席で演ぜられた歌劇の歌詞だったのではないかともいわれています。「百足らず」「波雲の」「早川の」「衣手の」「もののふの」「玉鉾の」「さ丹つらふ」「あしひきの」はいずれも枕詞。「山田の道」は、奈良県明日香村飛鳥から桜井市山田を経て桜井市阿部へ行く道。「八尺の嘆き」は、長い溜息。「色に出でて」は、思いがそぶりに表れて。3277は女性の歌です。