訓読 >>>
託馬野(つくまの)に生(お)ふる紫草(むらさき)衣(きぬ)に染(し)めいまだ着ずして色に出(い)でにけり
要旨 >>>
託馬野(つくまの)に生い茂る紫草で着物を染めて、未だに着ていないのに、もう紫の色が人目に立ってしまいました。
鑑賞 >>>
笠郎女(かさのいらつめ)が大伴家持に贈った歌。笠郎女は、家持が若かったころの愛人の一人で、宮廷歌人・笠金村の縁者かともいわれますが、生没年も未詳です。金村はそれほど地位の高い官人ではなかったため、郎女も低い身分で宮廷に仕えていたのでしょう。二人が関係に至った経緯は不明ですが、名門のエリートだった家持とは身分の隔たりがありました。郎女の歌は『万葉集』には29首が収められており、女性の歌では大伴坂上郎女に次ぐ2番目の多さです。そのすべてが家持に贈った歌で、片思いに苦しみ、思いあまった恋情が率直に歌われています。
「託馬野」は所在未詳ながら、「つくまの」と訓んで、現在の滋賀県米原町筑摩あたりとする説や、「たくまの」と訓んで、肥後国託麻郡(現在の熊本市東部)の地とする説などがあります。「紫草」は根を乾かして染料とした野草で、「託馬野に生ふる紫草」を家持に譬えています。「着る」は契りを結ぶことの喩えで、約束だけで、まだ共寝もしていないのに顔色にあらわれてしまった、と言っています。
巻第3-396の歌でも、家持を「陸奥の真野の草原」を家持に喩えていて、わざわざ遠い地を家持に譬えているのは、なかなか逢うことができない相手を恨む気持ちからのことと思われます。