大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

橘をやどに植ゑ生ほし・・・巻第3-410~412

訓読 >>>

410
橘(たちばな)をやどに植ゑ生(お)ほし立ちて居て後(のち)に悔ゆとも験(しるし)あらめやも

411
我妹子(わぎもこ)がやどの橘(たちばな)いと近く植ゑてし故(ゆゑ)にならずはやまじ

412
いなだきにきすめる玉は二つなしかにもかくにも君がまにまに

 

要旨 >>>

〈410〉橘の木を庭に植え育てて、その間じゅう立ったり座ったり心配したあげく、人に実を取られて悔やんでも、何の甲斐がありましょう。

〈411〉あなたのお庭の橘は、あまりに私に近く植えてあるものですから、我がものとしないわけにはいきません。

〈412〉頭上に束ねた髪の中に秘蔵している玉は、二つとない大切な物です。どうぞこれをいかようにもあなたの御心のままになさって下さい。

 

鑑賞 >>>

 410は、大伴坂上郎女が橘を娘の二嬢に譬え、大切にしてきた娘を下手な男にはやれないという意が込められた歌です。「橘」は、ミカン科の常緑高木で、古くは柑橘類の総称とされていました。「立ちて居て」は、立ったり座ったりしていつも気にして。「やも」は反語。

 これに対して大伴駿河麻呂が答えたのが411、また412は、市原王(いちはらのおおきみ:志貴皇子の曾孫)が坂上郎女に代わって詠んだとする歌。412の「いなだき」は、頭髪を頭上にまとめたところ。「きすめる」は、納める。ただ、この歌には全く違う見解として、市原王には大事に養育してきた五百井女王(いおいじょおう)がおり、娘を二つなき宝物に譬え、娘婿となる男に紹介したときの親心の歌であるとするものもあります。