大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

剣太刀身に取り副ふと・・・巻第4-604~606

訓読 >>>

604
剣(つるぎ)太刀(たち)身に取り副(そ)ふと夢(いめ)に見つ何の兆(さが)そも君に逢はむため

605
天地(あめつち)の神の理(ことわり)なくはこそ我(あ)が思ふ君に逢はず死にせめ

606
我(わ)れも思ふ人もな忘れおほなわに浦(うら)吹く風のやむ時もなし

 

要旨 >>>

〈604〉昨夜、剣太刀を帯びる夢を見ました。何の兆しでしょうか。あなたに逢える兆しでしょうか。

〈605〉天地の神々に正しい道理がなければ、結局私は、あなたに逢えないまま死んでしまうでしょう。

〈606〉私もあなたを思っていますから、あなたも私のことを忘れないで下さい。浦にいつも吹いている風のように止む時もなく。

 

鑑賞 >>>

 笠郎女大伴家持に贈った歌。604の「剣太刀」は、諸刃の太刀。「兆」は、前兆。男の道具である剣太刀が身に添うということから家持に逢えるのだと判じているもののようです。605の「理」は、正しい判断。「なくは」は、ないならば。「死にせめ」は、死んでしまうでしょう。「め」は「こそ」の結で、已然形。606の「な忘れ」の「な~(そ)」は、禁止。下に「そ」がないのは古い形式。「おほなわに」は、語義未詳。

 604の歌について窪田空穂は、「夢の信仰の深かった時代であり、特にその保持者である女性にとっては、この夢はきわめて嬉しいものであったとみえる。家持と自分との関係は神意にかなったもので、神の加護の加わっているものと思ったからである。これを歌として贈ったのは、家持にもこの神意を思わせ、それに背くようなことはさせまいと思ったので、他意のあったのではなかろうと取れる。この夢は、動揺し、行詰まった気分になっていた女郎には、一種の救いであったろうと思われる。これに続く歌も、積極的なものとなってきている」と述べています。

 

枕詞と序詞

 枕詞は和歌で使われる修辞技法の一つで、『万葉集』に多く見られます。ふつうは5音からなり、それぞれが決まった語について、語調や意味を整えたりします。ただし、枕詞自体は、語源や意味がわからないものが殆どです。

 序詞(じょことば)は和歌の修辞法の一つで、表現効果を高めるために譬喩・掛詞・同音の語などを用いて、音やイメージの連想からある語を導くものです。枕詞と同じ働きをしますが、枕詞が1句以内のおおむね定型化した句であるのに対し、序詞は一回的なものであり、音数に制限がなく、2句以上3、4句に及び、導く語への続き方も自由です。