大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

夢の逢ひは苦しかりけり・・・巻第4-741

訓読 >>>

夢(いめ)の逢ひは苦しかりけりおどろきて掻(か)き探(さぐ)れども手にも触れねば

 

要旨 >>>

夢の中で逢うのは苦しいものです。あなたに逢えたと思って目を覚まして手探りしても、何にも触れることができないので。

 

鑑賞 >>>

 大伴家持坂上大嬢に贈った歌。この歌は、奈良時代に伝来した唐代の伝奇小説『遊仙窟』の影響を受けているとされます。主人公の男が黄河の源流を訪れる途中、神仙の岩窟に迷い込み、仙女の崔十娘(さいじゅうじょう)と兄嫁の王五嫂(おうごそう)の二人の戦争未亡人に一夜の歓待を受け、翌朝名残を惜しんで別れるという筋です。その中の「夢ニ十娘ヲ見ル。驚キ覚メテ之ヲ攬(かいさぐ)ルニ、忽然(たちまち)手ヲ空シウセリ」の文章に拠っています。当時は神仙思想が盛んに行なわれていたらしく、家持はその作中の主人公に擬する気持ちで歌を詠んだようです。

 

 

『遊仙窟』

 中国、初唐時代に、流行詩人の張鷟(ちょうさく)、字(あざな)は文成、によって書かれた恋愛伝奇小説。

 筋書は、作者と同名の「張文成」なる人物が、黄河上流の河源に使者となって行ったとき、神仙の岩窟に迷い込み、仙女の崔十娘(さいじゅうじょう)と兄嫁の王五嫂(おうごそう)の二人の戦争未亡人に一夜の歓待を受け、翌朝名残を惜しんで別れるというもの。その間に84首の贈答を主とする詩が挿入されている。

 本書は中国では早く散逸したが、日本には奈良時代に伝来し、『 万葉集』の、大伴家持坂上大嬢に贈った歌のなかにその影響があり、山上憶良の『沈痾自哀文(ちんあじあいのぶん)』などにも引用されている。

 その他、『和漢朗詠集』『新撰朗詠集』『唐物語』『宝物集』などにも引用され、江戸時代の滑稽本や洒落本にも影響を与えた。