訓読 >>>
3788
耳成(みみなし)の池し恨(うら)めし我妹子(わぎもこ)が来つつ潜(かづ)かば水は涸(か)れなむ
3789
あしひきの山縵(やまかづら)の子(こ)今日(けふ)行くと我(わ)れに告(つ)げせば帰り来(こ)ましを
3790
あしひきの玉縵(たまかづら)の子(こ)今日(けふ)のごといづれの隈(くま)を見つつ来(き)にけむ
要旨 >>>
〈3788〉耳成山の池が恨めしい。いとしいあの子がやってきて身投げするのだったら、水を涸らしてほしかったのに。
〈3789〉山縵、その名を持つ縵子よ、今日あの世に逝ってしまうと私に告げてくれていたなら、あなたの所に急いで帰ってきたのに。
〈3790〉山の玉縵の名を持つ縵子よ、後を追おうとさまよう今日の私のように、あなたはいったいどの曲がり角を見ながらやって来たのだろう。
鑑賞 >>>
巻第16-3786~3787にある「桜児(さくらこ)の伝説」とは別にこんな話もあるとして、次のような説明があります。むかし三人の男がいた。同時に一人の乙女に求婚した。乙女は嘆き悲しんでこう言った。「一人の女の身である私は、露のように消えやすいのに 三人の男の心は石のように硬くて和らげることなどできない」。そしてとうとう池のほとりを思い悩んでさまよい、水の底に沈んでしまった。その時、その男たちが激しい悲しみをこらえきれず、それぞれの思いを述べて作った歌三首。[乙女は、字(あざな)を縵児(かずらこ)という]。前の歌群(3786~3787)と同工異曲の話ですが、娘子一人に対し男三人という点や、水死という点に違いがあります。
3788の「耳成の池」は、奈良県橿原市の耳成山の麓にあった池。今、耳成山の南の麓に木原池があり、これがその名残であろうとされます。「池し」の「し」は、強意の副助詞。「潜く」は、水に潜る。「涸れなむ」の「なむ」は、願望の終助詞。娘子が入水した池を恨むことによって、防ぎ得なかった死を嘆いています。娘子の近くに住んでいて、その水死を最初に知った感じの歌です。
3789の「あしひきの」は「山」の枕詞。「山縵」は、ヒゲノカズラ。「今日行くと」は、今日死にに行くと。「せば~まし」は、反実仮想。「を」は詠嘆。ただ、この歌の解釈について、上掲のように「今日これから死にに行きます」と予告して死ぬというのはやや不自然であり、また、もし予告なら「行く」ではなく「行かむ」が用いられるはず、などの理由から、「山縵の子が今日行方不明になったと誰かが告げていてくれたなら、この子は死なずに無事に帰って来たであろうに」のように解する説があります。旅先から帰って娘子の死を知ったらしくあります。
3790の「玉縵」の「玉縵」の「玉」は美称。ただし、「あしひきの」の続きから「山」の誤写ではないかとの説があります。あるいは「あしひきの」を山の意に転用し、山縵を美しく言い換えたものかもしれません。「隈」は、曲がり角。異霊のこもる所とされ、他界に連なる場所とされました。「隈を見つつ」というのは、適切な死に場所を求めながら、思つめて道を彷徨うことを言っています。死んだ娘子と同じ軌跡を歩もうとしており、娘子に対する思いが最も切実である男の歌をもって、締めくくっています。
いずれもいわゆる妻争い伝説の歌で、この二つの伝説に共通しているのは、複数の男性に求婚された女性が自ら命を絶ってしまうという点です。複数の男性に求婚されて自殺してしまう乙女の話は、『万葉集』中、ほかにもあり、真間娘子伝説(巻第9-1807~1808)、菟原処女伝説(巻第9-1809~1811)も同様です。