訓読 >>>
雲隠(くもがく)り行くへをなみと我(あ)が恋ふる月をや君が見まく欲(ほ)りする
要旨 >>>
雲に隠れて行方が分からないと、私が心待ちにしている月を、あなたも見たいとお思いでしょうか。
鑑賞 >>>
豊前国の娘子の月の歌。「娘子の字を大宅(おおやけ)という、姓氏は分からない」とあり、遊行女婦だったと推測されています。「行くへをなみ」は、行方がわからないので。「見まく欲りする」は、見たいと思うだろうか。ただし、この歌は、上掲の解釈では前半と後半の内容が結びつかないため、意味が分かりにくくなっています。そこで、単独の歌ではなく、同じ作者が詠んだ巻第4-709との一連の歌とみて別の解釈を試みているものがあります。709は次のような歌です。
〈709〉夕闇(ゆふやみ)は道たづたづし月待ちて行(い)ませ我(わ)が背子(せこ)その間(ま)にも見む
・・・夕闇は道がおぼつかないでしょう。月の出を待ってからお行きなさい。お帰りになるその間、月の光で後ろ姿を見送りましょう。
双方とも「月と恋人の男」を詠んだ共通の歌であることが分かります。そして、984は709の続きとして、「月が雲に隠れ、あなたが帰る道の行方が分からないからという口実であなたを引き留めることができるので、このまま隠れていてほしいと思っている月なのに、あなたはその月を早く見たいというのでしょうか」のように解釈しています。709と離れて配置されている984を、こうして並べてみると、どちらも、月が隠れていることを理由に、男の帰りを少しでも長く引き留めようとする女の気持ちが浮かびあがってきます。