訓読 >>>
634
家にして見れど飽かぬを草枕(くさまくら)旅にも妻(つま)とあるが羨(とも)しさ
635
草枕(くさまくら)旅には妻(つま)は率(ゐ)たれども匣(くしげ)の内の珠(たま)をこそ思へ
要旨 >>>
〈634〉私の家でお逢いするときは、いつも飽き足らずにお別れしますのに、あなたは旅にまで奥様とご一緒だなんて、羨ましいかぎりです。
〈635〉旅に妻を連れてはいるけれど、私の心では、大切な箱の中の珠のように、あなたを愛しいと思っているのです。
鑑賞 >>>
631~633に続く、湯原王(ゆはらのおおきみ)と娘子(おとめ)の歌。634は娘子の歌で、湯原王の旅に同行している妻のことを羨んでいます。635は湯原王の歌で、妻と連れ立った旅先にあっても、愛人に向けた歌を詠んでいるというものです。「草枕」は「旅」の枕詞。「羨しさ」は、うらやましさ。635の「匣の内の珠」は深く愛する女の譬え。「匣」は櫛笥で、櫛や化粧道具を入れておく箱。
なお、これらの歌には全く異なる解釈があり、王が旅に連れ出したのは妻ではなく娘子であり、634の「妻」は夫(つま)のこと、すなわち王を指し、娘子が「家にあって、いくら見ても飽き足らないのに、旅にまでその夫と共にいるという、この嬉しいこと」と喜んだ歌、また635は、「旅に妻(娘子のこと)を連れ出したが、私の心では、匣の中に蔵している貴重な珠だと思っている」と解するものです。こちらの解釈の方が自然であり、情味が溢れているように感じますが、如何でしょうか。