大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

立ちしなふ君が姿を忘れずは・・・巻第20-4440~4441

訓読 >>>

4440
足柄(あしがら)の八重山(やへやま)越えていましなば誰(た)れをか君と見つつ偲(しの)はむ

4441
立ちしなふ君が姿を忘れずは世の限りにや恋ひわたりなむ

 

要旨 >>>

〈4440〉足柄の八重に重なる山々を越えて行ってしまわれたら、誰をあなた様と見てお慕いしたらよいのでしょうか。

〈4441〉しなやかなあなた様のお姿を忘れない限り、きっと命果てるまでもお慕いし続けることでしょう。

 

鑑賞 >>>

 上総の国(千葉県南部)の大掾(だいじょう)大原真人今城(おおはらのまひといまき)が、朝集使として京に向かうことになった時に、地元の郡司の妻女らが贈った歌。「大掾」は、国司の上席三等官。「朝集使」は、国庁から年4回、その国の貢物を奉じて中央政府に行く使者。大原真人今城は、敏達天皇の後裔で、はじめ今城王、後に臣籍降下して大原真人姓になった人。「郡司」は、その地の豪族が任ぜられる職。
 
 ここの歌は、餞宴の席に侍していた郡司の妻が、盃を勧める際に詠んだ歌とみられます。4440の「足柄の八重山」は、神奈川県と静岡県の県境にある足柄・箱根山群の山で、東国と西国の境であるとも考えられていた難所です。「いましなば」の「います」は「行く」の尊敬語。「誰れをか君と見つつ」は、あなたに似る美貌の人は、他にはないの意。4441の「立ちしなふ」は、しなやかに立つ。京風の美として言っています。下官の妻が、上官の美貌をたたえるということは、宴歌にせよ稀有で、他に例のないもののようです。また、2首とも、あたかも恋人を送り出すかのような歌でもあり、すでに額田王の蒲生野唱和歌があったように、酒宴ではこうした際どい歌も許されたと見えます。

 

 

当ブログ制作にあたっての参考文献

『NHK100分de名著ブックス万葉集』~佐佐木幸綱/NHK出版
大伴家持』~藤井一二/中公新書
『古代史で楽しむ万葉集』~中西進/KADOKAWA
『誤読された万葉集』~古橋信孝/新潮社
『新版 万葉集(一~四)』~伊藤博/KADOKAWA
田辺聖子の万葉散歩』~田辺聖子/中央公論新社
超訳 万葉集』~植田裕子/三交社
『日本の古典を読む 万葉集』~小島憲之/小学館
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』~小名木善行/徳間書店
『万葉語誌』~多田一臣/筑摩書房
『万葉秀歌』~斎藤茂吉/岩波書店
『万葉秀歌鑑賞』~山本憲吉/飯塚書店
万葉集講義』~上野誠/中央公論新社
万葉集と日本の夜明け』~半藤一利/PHP研究所
萬葉集に歴史を読む』~森浩一/筑摩書房
万葉集のこころ 日本語のこころ』~渡部昇一/ワック
万葉集の詩性』~中西進/KADOKAWA
万葉集評釈』~窪田空穂/東京堂出版
『万葉樵話』~多田一臣/筑摩書房
『万葉の旅人』~清原和義/学生社
『万葉ポピュリズムを斬る』~品田悦一/講談社
『私の万葉集(一~五)』~大岡信/講談社