大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

大伴旅人の帰京時に大宰府の官人たちが作った歌・・・巻第4-568~571

訓読 >>>

568
み崎廻(さきみ)の荒磯(ありそ)に寄する五百重波(いほへなみ)立ちても居(ゐ)ても我(あ)が思へる君

569
韓人(からひと)の衣(ころも)染(そ)むといふ紫(むらさき)の心に染(し)みて思ほゆるかも

570
大和へに君が発(た)つ日の近づけば野に立つ鹿(しか)も響(とよ)めてぞ鳴く

571
月夜(つくよ)よし川の音(おと)清(きよ)しいざここに行くも行かぬも遊びて行かむ

 

要旨 >>>

〈568〉岬をめぐる荒磯に幾重にも立って寄せてくる波のように、立っても座っても、いつも慕いする我が君です。

〈569〉韓国(からくに)の人が衣を染めるという染料の紫のごとく心に染みて、このお別れが悲しく思われることです。

〈570〉大和へ向かってお発ちになる日が近づいてきたので、野の鹿もまた同じく、騒がしく鳴いていることです。

〈571〉月夜もよく、川のせせらぎも清らかです。さあここで、都へ行く人も行かずにとどまる人も、名残を惜しみ楽しく遊んでお別れしようではありませんか。

 

鑑賞 >>>

 大伴旅人が妻を亡くしてから2年後の天平2年(730年)12月、旅人は大納言となり、都に帰ることになりました。ここの歌は、出発の何日か前に筑紫国の蘆城(あしき)の駅家(うまや)で送別の宴を開いたときに、大宰府の官人たちが作った歌です。「蘆城」は、大宰府の東南、筑紫野市阿志岐の地。

 568は筑前掾(ちくぜんのじょう:筑前国司の三等官)門部連石足(かどべのむらじいそたり)の歌。「み崎廻」は、岬の周り。上3句は「立ちて」を導く序詞。「荒磯」は、岩ばかりの波の荒い海岸。「五百重波」は、幾重にも重なって立つ波。「立ちても居ても」は、立っても座っても。

 569・570は大典(だいてん:四等官の上位)麻田連陽春(あさだのむらじやす)の歌。麻田連陽春は、亡命渡来人の子。「麻田連」の姓を賜わり、のち石見守となった人で、『懐風藻』にも詩を残す文人です。569の上3句は「心に染みて」を導く序詞。「紫」は、高い位階の人の服色として定められており、正位三位大納言である旅人の朝服の色が、いっそう濃い紫になることを言っているとされます。570の「響めて」は、声を響かせて。太宰帥として旅人が施いた仁政は、人間ばかりでなく、野の鹿までもそれを感じているとの意が込められています。

 571は防人佑(さきもりのすけ:防人司の二等官)大伴四綱(おおとものよつな)の歌。「川」は、芦城川とされます。「行くも行かぬも」の「行く」は、京へ向かう旅人一行、「行かむ」は、行かずに大宰府にとどまる人。この歌について窪田空穂は、「月夜よし河音清けし」と、句を切って同韻を畳み、「行くも去かぬも遊びて帰かむ」と「行く」を三回までも畳んでいるところは、口承文学の系統を際やかに引いたもの、と評しています。四綱の歌は『万葉集』に5首入集しています。