訓読 >>>
我妹子(わぎもこ)は釧(くしろ)にあらなむ左手の我(わ)が奥(おく)の手に巻きて去(い)なましを
要旨 >>>
あなたが釧であったらいいのに。そしたら、私の大事な左の奥の手に巻いて旅立とうものを。
鑑賞 >>>
振田向宿祢(ふるのたむけすくね)が、筑紫の官に任ぜられて下った時の歌。「振」が氏、「田向」が名ですが、伝未詳。「釧」は、ひじまきとも呼ぶ腕輪で、手首やひじのあたりに巻きつける装身具。貝、石、金属などで作るとされます。「あらなむ」の「なむ」は願望の助詞で、あってほしい。「奥の手」は、左手を右手よりも尊んでの称とされ、左手は右手よりも不浄に触れることが少ないとしての上代の信仰によるとみられています。この風習は、いまも欧州に残っているといいます。「巻きて去なましを」は、巻いて持って行こうものを。
愛する人との別れに際し、その人を身につける品にして持って行きたいというのは人情であり、この類想も多くありますが、釧(腕輪)にしたいと歌っているのは珍しいものです。窪田空穂は、「釧はこの時代にはすでに古風の物となっていて、大体、記憶の世界の物であったろうと思われる。奥の手ということも、他に用例のないところから、同じ範囲のものであったろう」と述べています。