大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

我妹子は釧にあらなむ・・・巻第9-1766

訓読 >>>

我妹子(わぎもこ)は釧(くしろ)にあらなむ左手の我(わ)が奥(おく)の手に巻きて去(い)なましを

 

要旨 >>

あなたが釧であったらいいのに。そしたら、左手の私の大事な奥の手に巻いて旅立とうものを。

 

鑑賞 >>>

 振田向宿祢(ふるのたむけすくね:伝未詳)が、筑紫の官に任ぜられて下った時の歌。「釧」は、腕輪で、手首やひじのあたりに巻いた飾り。「なむ」は、願望の助詞。「奥の手」は、左手を右手よりも尊んでの称とされ、左手は右手よりも不浄に触れることが少ないとしての上代の信仰によるとみられています。この風習は、いまも欧州に残っているといいます。「巻きて去なましを」は、巻いて持って行こうものを。
 
 愛する人との別れに際し、その人を身につける品にして持って行きたいというのは類想が多くありますが、釧(腕輪)にしたいと歌っているのは珍しいものです。

 

万葉集』の三大部立て

雑歌(ぞうか)
 公的な歌。宮廷の儀式や行幸、宴会などの公の場で詠まれた歌。相聞歌、挽歌以外の歌の総称でもある。

相聞歌(そうもんか)
 男女の恋愛を中心とした私的な歌で、万葉集の歌の中でもっとも多い。男女間以外に、友人、肉親、兄弟姉妹、親族間の歌もある。

挽歌(ばんか)
 死を悼む歌や死者を追慕する歌など、人の死にかかわる歌。挽歌はもともと中国の葬送時に、棺を挽く者が者が謡った歌のこと。

万葉集』に収められている約4500首の歌の内訳は、雑歌が2532首、相聞歌が1750首、挽歌が218首となっています。