訓読 >>>
白珠(しらたま)は人に知らえず知らずともよし 知らずともわれし知れらば知らずともよし
要旨 >>>
真珠は、その真の価値を人に知られない。しかし、世の人が知らなくてもよい。たとえ世の人が知らなくても、自分さえ知っていれば構わない。
鑑賞 >>>
題詞に「元興寺(がんごうじ)の僧が、自ら嘆く歌」とあります。元興寺は、はじめ蘇我(そが)氏が飛鳥に法興寺(ほうこうじ)という寺を建て、それが後に元興寺と呼ばれるようになり、さらに平城京遷都後に都に移された寺です。現在は塔跡の礎石だけが残っています。
この歌は、五七七・五七七という旋頭歌の形式になっています。天平10年(738年)の作で、左注には、「ある人が言うには、元興寺の僧は独り悟得して智恵も多かったが、それが世間に知られず、人々は侮り軽んじていた。それで、その僧はこの歌を作って自分の才能を嘆じた」との説明があります。白珠(真珠)に託して、自分の真価を正当に評価されない嘆きを歌っています。
こうした不満は、いつの世にも、またいかなる分野の人も、多く抱いているもので、本来、寺というところは情実のなかるべき所で、もし高下があるとすれば、それは知能によってのみ定められるべきなのに、そこにも情実が幅を利かせ、知能が公平に認められていないと憤っています。一般に旋頭歌は、前半の5・7・7で謎めいた主題を示し、後半の5・7・7でそれを説明してみせる構造を持ちますが、この歌にはそうした構造は認められず、「しら」「しれ」を頭韻式に反復し、音調に技巧を凝らしています。
なお、元の法興寺も残されて「本元興寺」よ呼ばれ、平城京に移された元興寺とともに「飛鳥寺」とも称されました。こうして生じた二つの飛鳥寺について、大伴坂上郎女は「元興寺の里を詠む歌」として、「故郷の飛鳥はあれどあをによし奈良の飛鳥を見らくしよしも」(巻第6-992)という歌を残し、「故郷の飛鳥にある元の元興寺も良いけれど、奈良の新しい元興寺を見るのはとてもすてきだ」と言っています。
⇒ 各巻の概要