訓読 >>>
2366
まそ鏡(かがみ)見しかと思ふ妹(いも)も逢はぬかも 玉の緒(を)の絶えたる恋の繁(しげ)きこのころ
2367
海原(うなはら)の道に乗りてや我(あ)が恋ひ居(を)らむ 大船のゆたにあるらむ人の子ゆゑに
要旨 >>>
〈2366〉何とかして逢いたいと思う彼女は、ひょっこりとでも出逢ってくれないだろうか。絶えたと思っていた恋しさが再びつのるこの頃よ。
〈2367〉大海原の船路に乗って行方を託すように、私は苦しんでいなければならないのか。大船に乗ってゆったり構えているだろうあの子のせいで。
鑑賞 >>>
いずれも『古歌集』から採ったとある旋頭歌形式(5・7・7・5・7・7)の歌。『古歌集』は『万葉集』編纂の資料となった歌集の一つで、藤原宮時代から奈良時代初期にかけての歌を収めたものと推定されています。2366の「まそ鏡」は、整った立派な鏡のことで「見」にかかる枕詞。「見しか」の「しか」は、願望の助詞。「玉の緒の」は「絶え」の枕詞。「絶えたる恋」は、終わってしまった恋。
2367の「海原の道」は、海上には船を自然に目的地に運んでくれる道(潮流)があると考えられており、それによる表現。「道に乗りてや」は、定まった通りに事が進むことの譬喩。「大船の」は「ゆたに」の枕詞。「ゆたに」は、ゆったりとして。「人の子」の「人の」は、感を強めるために添えたもので、思いを寄せる娘のこと。男の歌であり、相手の娘がゆったりしていて、恋路が進まないのを嘆いています。
作者未詳歌
『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。
7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、機内圏のものであることがわかります。
⇒ 各巻の概要