大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

天の探女が岩船の・・・巻第3-292~295

訓読 >>>

292
ひさかたの天(あま)の探女(さぐめ)が岩船(いはふね)の泊(は)てし高津(たかつ)はあせにけるかも

293
潮干(しほひ)の御津(みつ)の海女(あまめ)のくぐつ持ち玉藻(たまも)刈るらむいざ行きて見む

294
風をいたみ沖つ白波(しらなみ)高からし海人(あま)の釣舟(つりぶね)浜に帰りぬ

295
住吉(すみのえ)の岸の松原(まつばら)遠(とほ)つ神(かみ)我が大君(おほきみ)の幸(いでま)しところ

 

要旨 >>>

〈292〉その昔、天の探女(さぐめ)が高天原から乗ってきた岩船が泊った高津は、今では浅瀬になってしまった。

〈293〉潮が引いた難波の御津の海女たちが、篭を持って今ごろ藻を刈り取っているという。さあ、行って見ようではないか。

〈294〉風が激しいので沖の白波が高くなってきたらしい。漁師の釣り舟がみな浜に戻ってきた。

〈295〉住吉の岸の松原は、遠い昔から神でいらっしゃる大君が行幸された所である。

 

鑑賞 >>>

 作者の角麻呂(つのまろ)は伝未詳。『続日本紀養老5年(721年)一月条に、優れた陰陽学者として褒賞されている角兄麻呂(つのえのまろ)と同一人かともいわれます。角兄麻呂の官位は従五位下、丹後守。この歌は、難波・住吉行幸に従駕したときの作と想定されています。

 292の「ひさかたの」は「天」の枕詞。「探女」は『古事記』『日本書紀』に出てくる女の名で、出雲国を平定するため高天原から遣わされた天稚彦(あめわかひこ)の従者。出雲の勢力に抗しきれず復することができずにいたところ、高天原から鳴女(なきめ)という雉(きじ)が遣わされ、探女は天稚彦に勧めて雉を射させた、という伝えがあります。また、探女の乗った岩船(神の乗り物)が泊った所を「高津」と名付けたと伝えられています。「高津」は大阪市中央区法円坂あたり。

 293の「御津」は難波の津。「くぐつ」は、海浜に生えるくぐという名の草で編んだ篭。294の「風をいたみ」は、風が激しいので。295の「住吉」は大阪市住吉区。「遠つ神」は「我が大君」の枕詞。