大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

娘子が僧を揶揄した時の歌・・・巻第3-327

訓読 >>>

海神(わたつみ)の沖に持ち行きて放(はな)つともうれむぞこれがよみがへりなむ

 

要旨 >>>

海の沖に持って行って放してやったとしても、どうして、これが生き返ることがありましょうや。

 

鑑賞 >>>

 ある娘子たちが、通観法師(伝未詳)に干し鮑(あわび)を包んで贈り、ふざけて祝願を求めた時に、通観が作った歌です。「祝願」は、干し鮑が生き返るよう呪文を唱えて祈願すること。「海神」は海の神、ここでは海。「放つ」は「放生」で、捕らえた生き物を逃がしてやること。「うれむぞこれが」は、どうしてこれが。

 娘子たちが持参した鮑は女陰の比喩とされ、女犯を禁じられていた僧を、からかい、挑発しようとする遊び心からのものと見えます。娘子たちから問われた通観はいたって生真面目に答えており、それがかえって諧謔を生んでいます。窪田空穂は、「当時仏教は、皇室の御保護、貴族の信仰によって、社会的には勢力のあるものであり、したがって僧の社会的位地も相応に高いものであった。しかし一般庶民に浸透した力はむしろ浅いもので、ことに年若い女子においては、いっそうであったとみえる」と述べています。

 当時は、航海の安全を祈願する際、海神に女陰を見せる呪術があったともいいます。『土佐日記』にもその記述があり、「胎鮨(いずし)、鮨鮑(すしあはび)をぞ、心にもあらぬ脛(はぎ)に上げて見せける(胎貝の鮨や鮨鮑を、思いもかけぬ脛まで高々とまくり上げて、海神に見せつけた)」と描写されています。ここでも、胎貝や鮨鮑が女陰の比喩になっています。