大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

誰ぞ彼と問はば答へむ・・・巻第11-2544~2545

訓読 >>>

2544
うつつには逢ふよしもなし夢(いめ)にだに間なく見え君恋ひに死ぬべし

2545
誰(た)そ彼と問はば答へむ術(すべ)をなみ君が使(つかひ)を帰しやりつも

 

要旨 >>>

〈2544〉現実にはお逢いする機会もありません。せめて夢にだけでも絶えず出てきて下さいあなた。もう恋しくて死んでしまいそうです。

〈2545〉あの人は誰かと問われても、答えようがないので、あなたからの使いをそのまま帰してしまいました。

 

鑑賞 >>>

 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2544の「見え」は「見ゆ」の命令形。万葉の人々は、夢に人を見るのは相手がこちらを思うせいだと考え、また、こちらが人を思うと、その人の夢に自分が見えると考えました。夢に出てきて下さいと言っているのは、こちらを思ってほしいと願っています。

 2545の「誰そ彼」は、あの人は誰かで、「たそがれどき(人の顔が見分けにくい時刻)」の語源になった言葉。「答へむ術をなみ」は、返事のしようがないので。母親が不審に思って娘に問いかけたのでしょうか。この歌からは、逢引の約束は夕方にやって来る使いがとりつけたことが窺えます。そして、使いが来ることは恋仲の相手がいることを示し、逆に使いが来ないのは、関係が停滞していることを暗示するものでした。切ない後悔の歌ですが、母親の監視の目をかいくぐって相手と通じ合うことの苦労が窺えます。

 

 

※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について

『万葉集』掲載歌の索引