大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

鳴き立てる馬・・・巻第13-3327~3328

訓読 >>>

3327
百小竹(ももしの)の 三野(みの)の王(おほきみ) 西の厩(うまや) 立てて飼(か)ふ駒(こま) 東(ひむがし)の厩(うまや) 立てて飼ふ駒 草こそば 取りて飼ふと言へ 水こそば 汲(く)みて飼ふと言へ 何しかも 葦毛(あしげ)の馬の い鳴き立てつる

3328
衣手(ころもで)葦毛(あしげ)の馬のいなく声(こゑ)心(こころ)あれかも常(つね)ゆ異(け)に鳴く

 

要旨 >>>

〈3327〉栄えておられた三野王が、西に馬屋を建てて飼う馬、東に馬屋を建てて飼う馬。草はどっさり取ってきて与えてあるというのに、水はたっぷり汲んできて与えてあるというのに、どういうわけで、葦毛の馬たちはこんなに鳴き立てるのか。

〈3328〉葦毛の馬のいななく声は、主人を悲しむ心があるかのように、いつもとは違う声で鳴いている。

 

鑑賞 >>>

 三野王(みののおおきみ)が亡くなった時の歌。三野王は橘諸兄(たちばなのもろえ)の父で、672年の壬申の乱では天武側につき、その後天武天皇持統天皇に仕えました。3327の「百小竹の」は、たくさんの篠が茂る野の意で「三野」にかかる枕詞。3328の「衣手」は「葦毛」の枕言葉ながら、掛かり方未詳。「常ゆ異に」は、いつもと違って。

 馬たちは、屋敷内がふだんと違う雰囲気であるのを察知し、可愛がってくれている主人が姿を見せないことに異変を感じて鳴き立てたのでしょうか。万葉学者の伊藤博はこの歌を、「簡素な言葉づかいと古樸な調べの中に真情が溢れる」と評しています。