訓読 >>>
言問(ことと)はぬ木すら妹(いも)と兄(せ)とありといふをただ独(ひと)り子にあるが苦しさ
要旨 >>>
ものを言わない木にさえも兄弟姉妹があるというのに、私はまったくの一人っ子であるのが悲しい。
鑑賞 >>>
市原王(いちはらのおおきみ)の「独り子にあることを悲しぶる」歌。市原王(生没年未詳)は天智天皇5世の孫で、志貴皇子または川島皇子の孫、安貴王の子にあたります。天平15年(743年)に従五位下、写経司長官、玄蕃頭、備中守、金光明寺造仏長官、大安寺造仏所長官、造東大寺司知事、治部大輔,摂津大夫、造東大寺司長官など、主に仏教関係事業の官職を歴任し正五位下に至りました。『万葉集』に8首の短歌を残し、大伴家持との関係をうかがわせる歌も多くあります。
「言問はぬ」は、物を言わない。「木すら妹と兄とあり」というのは、同じ根から複数の幹が生えているもの、または雌株と雄株のある木をいっているのでしょうか。『万葉集』の歌では、多く男性から親愛の情を込めて女性を呼ぶ呼称として用いられる「妹」ですが、元来は男性から女性の姉妹をさす親族名称であり、ここでの「妹」はその原義で用いられています。「独り子」は、兄弟のいない一人っ子。市原王の子のことを言っているという見方もあるようですが、王自身のことであるというのが定説です。