大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

大伴旅人の従者の歌(2)・・・巻第17-3890~3894

訓読 >>>

3895
玉映(たまは)やす武庫(むこ)の渡りに天伝(あまづた)ふ日の暮れ行けば家をしぞ思ふ

3896
家にてもたゆたふ命(いのち)波の上(へ)に浮きてし居(を)れば奥処(おくか)知らずも [一云 浮きてし居れば]

3897
大海(おほうみ)の奥処(おくか)も知らず行く我(わ)れをいつ来まさむと問ひし子らはも

3898
大船(おほぶね)の上にし居(を)れば天雲(あまくも)のたどきも知らず歌ひこそ我(わ)が背(せ)

3899
海人娘子(あまをとめ)漁(いざ)り焚(た)く火のおほほしく角(つの)の松原(まつばら)思ほゆるかも

 

要旨 >>>

〈3895〉武庫の渡し場で、あいにく日が暮れていくものだから、いっそう家のことが思われてならない。

〈3896〉家にいてさえ揺れ動くわが命なのに、波の上に揺られて思うに、これから先どうなるのやら不安でならない。

〈3897〉大海の、行き着く果てもしれずに出かけていく私なのに、今度はいつおいでになりますかと尋ねた、あの子は、ああ。

〈3898〉大船の上にいると、空を流れる雲のようによるべも分からず、どうか歌を歌ってください、親しい君よ。

〈3899〉海人娘子たちが焚く漁り火がぼんやり霞んで見えるように、心が晴れずに角の松原が思い出される。

 

鑑賞 >>>

 前記事に続く5首。3895の「玉映やす」は「武庫」の枕詞。「武庫」は、兵庫県尼崎市から西宮市にかけての沿岸。「天伝ふ」は「日」の枕詞。3896の「たゆたふ」は、定まらず、漂う。「浮きてし」の「し」は、強意の助詞。「奥処」は、将来、果て。「知らずも」は、知られないことよ。

 3897の「子ら」は女の愛称で、「ら」は接尾語。ここの「子」は、家郷にいる作者の妻ではなく、筑紫で馴れ親しんだ女のことかもしれません。3898の「天雲の」は「たどきも知らず」の枕詞。「たどき」は、頼りどころ。3899の「おほほしく」は、かすかに、ぼんやりと。「角の松原」は、西宮市松原町付近にあった松原。