大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

何かここだく我が恋ひ渡る・・・巻第4-656~658

訓読 >>>

656
我(わ)れのみぞ君には恋ふる我(わ)が背子(せこ)が恋ふといふことは言(こと)のなぐさぞ
657
思はじと言ひてしものをはねず色のうつろひやすき我(あ)が心かも
658
思へども験(しるし)もなしと知るものを何かここだく我(あ)が恋ひ渡る

 

要旨 >>>

〈656〉恋しいと思っているのは私ばかり。あなたが恋しいと言うのは口先ばかりです。

〈657〉思うまいと口に出して言ったのに、はねずの花の色のように変わりやすい私の心です。

〈658〉いくら恋しく思っても、何の甲斐もないと知っているのに、どうしてこんなに私はずっと恋し続けているのでしょう。

 

鑑賞 >>>

 ここの歌は、「大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の歌六首」とあるうちの3首。

 656の「言のなぐさ」は、口先だけの慰め。「気休めのような甘い言葉は要らない、あなたの本当の気持ちが見えないの」と訴えかけています。657は、656とは別の時に夫に贈った歌。「はねず色の」は「うつろひやすき」の枕詞。「はねず色」は、桃色よりやや濃い目の紅色のこと。「はねず」がどの植物であるかは、庭梅・庭桜・モクレン・芙蓉・ザクロなどの説がありますが、はっきりしていません。その花の色が褪せやすいところから、変わりやすいことの譬喩としてあるようです。658もまた別の時に、足遠くなった夫に訴えた歌。「験」は、甲斐のこと。「ここだく」は、こんなにはなはだしく。

 題詞がないので相手が誰なのかが分かりませんが、その前に、郎女が娘の二嬢について婿の大伴駿河麻呂(おおとものするがまろ)に贈った歌(651~652)や駿河麻呂が二嬢に心を置いた歌(653~654)が並んでいることから、ここの6首は、あるいは二嬢から夫の駿河麻呂に贈り、また答える歌を郎女が代作したものではないかとする見方があります。