大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

大伴家持と紀女郎の歌(4)・・・巻第4-777~781

訓読 >>>

777
我妹子(わぎもこ)がやどの籬(まがき)を見に行かばけだし門(かど)より帰してむかも

778
うつたへに籬(まがき)の姿(すがた)見まく欲(ほ)り行かむと言へや君を見にこ

779
板葺(いたぶき)の黒木(くろき)の屋根は山近し明日(あす)の日取りて持ちて参(まゐ)り来(こ)む

780
黒木(くろき)取り草も刈りつつ仕(つか)へめどいそしきわけとほめむともあらず [一云 仕ふとも]

781
ぬばたまの昨夜(きぞ)は帰しつ今夜(こよひ)さへ我(わ)れを帰すな道の長手(ながて)を

 

要旨 >>>

〈777〉あなたの家の今造っているという垣根を見に行ったら、たぶん家へは上げず、門の所で追い返されるでしょうね。

〈778〉決して垣根が見たくて行こうと言うのではありませんよ。あなたに逢いたいからなのです。

〈779〉板葺きの黒木の屋根を造ろうというのなら、さいわいに山も近いことですし、明日にでも伐って持って参りましょう。

〈780〉黒木を伐採し、かやまで刈り取ってお仕えしても、勤勉な小僧だとほめてくれそうにありませんよね。

〈781〉昨夜は私に逢って下さらず、帰らざるを得ませんでした。今宵も同じように拒否なさいませんように。ここまで長い道のりなのですから。

 

鑑賞 >>>

 大伴家持が、更に紀女郎に贈った歌5首。777・778の「籬」は、竹や柴で編んだ垣根。「けだし」は、もしかして。778の「うつたへに」は、下に否定や反語を伴い、「決して~でない」の意。「君」は、ふつうは男に対して用いますが、戯れて言ったようです。779の「黒木」は、皮を剥がないままの材木。780の「いそしきわけ」は、勤勉な小僧、召使。781の「ぬばたまの」は「昨夜」の枕詞。

 この時代、家などを建築する時には、その家主に何らかの関係をもつ者が、材料や労力を提供するなどの助力をするのが一般の習わしとなっていました。ここもその心からいっており、単に見に行こうというのではないようです。ただ、籬(まがき)といっているのは、家の内部まで見ようとするのは遠慮していて、女郎との関係がまだ深くないことを示しています。