訓読 >>>
559
事もなく生き来(こ)しものを老いなみにかかる恋にも我(あ)れは逢へるかも
560
恋ひ死なむ後(のち)は何せむ生ける日のためこそ妹(いも)を見まく欲(ほ)りすれ
561
思はぬを思ふと言はば大野なる御笠(みかさ)の(もり)杜の神し知らさむ
562
暇(いとま)なく人の眉根(まよね)をいたづらに掻(か)かしめつつも逢はぬ妹(いも)かも
要旨 >>>
〈559〉これまで何事もなく生きてきたのに、しだいに老いる頃に、何とまあ、こんな苦しい恋に出会ってしまいました。
〈560〉恋い焦がれて死んでしまったら何の意味もありません。生き長らえている今日の日のために、あなたの顔を見たいと思うのに。
〈561〉あなたのことを思ってもいないのに、恋い焦がれているなどと言ったら、大野の御笠にある神社の神様がお見通しで、私は罰を下されるでしょう。
〈562〉しきりに人の眉を掻かせておきながら、なかなか逢ってくれようとしないあなたです。
鑑賞 >>>
題詞に「恋の歌4首」とある、大伴百代(おおとものももよ)の歌。大伴百代は 、天平初期に大宰大監(だざいのだいげん:大宰府の3等官の上位)をつとめ、その後帰京し、兵部少輔、美作守(みまさかのかみ)を経て、天平15年に筑紫鎮西府副将軍、のち豊前守(ぶぜんのかみ)となりました。大伴旅人・家持父子とも親交があり、大宰府在任中に大伴旅人邸で開かれた梅花宴に出席し、歌を詠んでいます(巻第5-823)。『万葉集』には7首の歌を残しています。
ちなみに、大宰府の官職には、長官である帥(そち)の下に、権帥(ごんのそち)・大弐(だいに)・少弐(しょうに)・大監(だいげん)・少監(しょうげん)・大典(だいてん)・少典(しょうてん)以下があり、別に祭祀を担う主神(かんづかさ)がありました。
559の「老いなみに」は、しだいに老いる頃に。「かも」は、詠嘆。560の「見まく」は「見る」の名詞形。561の「大野なる御笠の杜」の「なる」は「にある」の約で、『日本書紀』にも登場する、福岡県大野城市山田の社。562は、眉がかゆくなると好きな人に逢える前兆という、当時のおまじないを踏まえています。歌を贈った相手が誰だか書かれていませんが、当時、兄の旅人に伴われて大宰府にいた大伴坂上郎女が、これに答えたと見られる歌が563・564に載っています。宴席での歌のやり取りだったとみられます。坂上郎女はこのころ30代半ばで、恋多き女だった女盛りの郎女に、百代は心を奪われてしまったのかもしれません。
なお、なぜ眉がかゆくなると恋人に逢える前兆とされたのかは、中国古典の恋愛文学『遊仙窟』に「昨夜根眼皮瞤 今朝見好人(昨夜、目の上がかゆかった、すると今朝あの人に会えた」という一文があり、その影響ではないかといわれます。