大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

大伴家持と紀女郎の歌(5)・・・巻第8-1460~1463

訓読 >>>

1460
戯奴(わけ)がため我が手もすまに春の野に抜ける茅花(ちばな)そ食(を)して肥えませ

1461
昼は咲き夜は恋ひ寝(ぬ)る合歓木(ねぶ)の花(はな)君のみ見めや戯奴(わけ)さへに見よ

1462
我が君に戯奴(わけ)は恋ふらし賜(たば)りたる茅花(ちばな)を喫(ほ)めどいや痩(や)せに痩(や)す

1463
我妹子(わぎもこ)が形見(かたみ)の合歓木(ねぶ)は花のみに咲きてけだしく実にならじかも

 

要旨 >>>

〈1460〉あなたのために私がせっせと春の野で摘んだ茅花です。心して食べておふとりなさい。

〈1461〉昼に咲いて、夜は恋いつつ眠る合歓(ねむ)の木の花を、家のあるじだけが見ていていいものでしょうか、あなたも一緒に見ましょう。

〈1462〉あなたのことを私は恋しいようです。頂いた茅花を食べても、あなたが恋しくてますます痩せていきます。

〈1463〉あなたが送ってきた形見の合歓の木は、花ばかり咲いて、たぶん実はならないのでしょうね。

 

鑑賞 >>>

 1460・1461は紀女郎大伴家持に贈った歌、1462・1463がそれに答えた家持の歌です。紀女郎は家持より10歳は年上だったらしく、1460の「戯奴」は、女主人が男の奴(やつこ)などを呼ぶ際に用いられた語で、ここでは戯れに使っています。「茅花」は、イネ科の野草チガヤの穂で、ほのかな甘みがあり、食用とされました。茅花を抜くのは春で、当時はそうして集めた茅花を乾燥させて保存していたとされ、女郎が、夏痩せで苦しむ家持のために食べ物として贈ったとみえます。

 1461の「合歓木」は、初夏に細い糸を集めたような淡紅色の花が咲き、夜になると葉が合わさって閉じ、眠るように見えることから「ねむ」と呼ばれました。中国では夫婦円満の象徴の木とされ、名前には「男女の営みを歓び合う」意が込められており、『万葉集』の原文表記もそれに従っています。女郎の歌は「戯奴」と言ってからかいつつも、あるいはそう呼べるほどの深い関係にあったか、「愛し合う花たちの前で、私に独り寝をさせないで」と誘いかけています。

 1462の「いや」は、ますます。女郎が家持のことを「戯奴」と呼んでいるのに対し、ここでは家持は女郎を「我が君」と呼んでおり、男と女が逆転したようになっています。いくら戯れとはいえ、よほど親密な関係でなければ、お互いがこのような呼び方はしないだろうと感じるところです。1463の「形見」は、過ぎ去ったことを思い出す種となるもの。「けだしく」は、きっと。ここでは、女郎に対する呼びかけが「君」から「我妹子」に変わっています。

 なお、1460の歌は、中国最古の詩集『詩経』にある『静女』の詩を踏まえているのでは、という説があります。『静女』は、愛する女を歌った男の詩で、女から野で摘んだ茅花の贈り物をもらい、「きれいで珍しい花だけど、その花そのものが美しいというわけではない。美しい娘からの贈り物だから美しい」と言って喜んでいるものです。茅花を贈るのは求愛のしるしともされていたようです。紀女郎は、暗に「美人が摘んできた茅花だからよけいに嬉しいでしょ?」と言っているのでしょうか。