訓読 >>>
3361
足柄(あしがら)の彼面此面(をてもこのも)に刺す罠(わな)のかなるましづみ子ろ我(あ)れ紐(ひも)解く
3362
相模嶺(さがむね)の小峰(をみね)見退(みそ)くし忘れ来る妹(いも)が名呼びて我(あ)を音(ね)し泣くな
要旨 >>>
〈3361〉足柄山のあちらにもこちらに仕掛けた罠に獲物がかかって鳴り響く、それを待つ間の静けさの中で、あの子と私はこっそりと着物のひもを解く。
〈3362〉相模嶺の懐かしい峰に背を向け見捨てるように、忘れようとしてやって来たのに、今さら妻の名を呼び覚まして私を泣かせないでくれ。
鑑賞 >>>
相模の国(神奈川県)の歌。3361の「足柄」は、静岡県と神奈川県の県境に立つ足柄山。原文では「安思我良」と表記されています。特定の山頂を指した名称ではなく、足柄峠を中心に、古くは金時山(標高1213m)を含めた連山の総称。「をてもこのも」は、山の向こう側やこちらの面、あちらこちら。「刺す罠」の「刺す」は、罠を仕掛ける。「かなるましづみ」は語義未詳ながら、「か鳴る間静み」として上記のように解していますが、「鹿鳴る間」として、鹿が鳴いてくるまでと解するのもあります。「子ろ」の「ろ」は接尾語で、女の愛称。「紐解く」は、着物の紐を解き交わして共寝する。
3362の「相模嶺」は、未詳。「さがむ」は「さがみ」の古名。「小峰」の「小」は接頭語で、ここでは妻の比喩。「見そくし」は、背を向け見捨てるようにして。あるいは、見て見ぬふりをする意だとして、「いつも見える相模の嶺の小峯を見て見ないふりをするように、つとめて忘れてきた妻の名を、つい口に出して呼んで私は泣いてしまった」のように解する説もあります。「音し泣く」は、泣くの意の慣用語「音泣く」に、「し」の強意の助詞の添えたもの。「な」は、感動の助詞。歌の解釈に諸説あるなか、ここでは、国境の峠で他人の呼んだ言葉が、偶然妻の名と一致した時の嘆きを詠ったものとしています。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について