大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

をみなへし佐紀沢の辺の・・・巻第7-1344~1346

訓読 >>>

1344
真鳥(まとり)棲(す)む雲梯(うなて)の杜(もり)の菅(すが)の根を衣(きぬ)にかき付け着せむ子もがも

1345
常(つね)ならぬ人国山(ひとくにやま)の秋津野(あきづの)のかきつはたをし夢(いめ)に見しかも

1346
をみなへし佐紀沢(さきさは)の辺(へ)の真葛原(まくずはら)何時(いつ)かも繰(く)りて我(わ)が衣(きぬ)に着む

 

要旨 >>>

〈1344〉鷲が棲む雲梯の神社の菅の根を、衣に摺り染めて、私に着せてくれる女がいてほしい。

〈1345〉人国山の麓の秋津野に咲く美しい杜若の花を、夢にまで見ることだ。

〈1346〉佐紀沢のほとりの葛原よ、その葛のつるを早く引きたぐり寄せて糸にして、私の衣に作って着たいものだ。

 

鑑賞 >>>

 「草に寄する」歌。1344の「真鳥」の「真」は接頭語で、立派な鳥または鷲。「雲梯の杜」は、橿原市雲梯町の神社(現在の河俣神社)で、畝傍山から西北2kmのところにあります。神社を「杜」と言うのは、昔は社(やしろ)がなく、巨木や森林が神体として崇められてきたことに由来し、今も、本殿や拝殿さえ存在しない神社が存在します。「菅」は、カヤツリグサ科の多年草の総称。「かき付け」は、摺り付け。「菅の根を衣にかき付け着せむ」は妻のすることで、妻になることの譬喩。「もがも」は、願望。窪田空穂はこの歌について、「ここの菅は、雲梯の神社のもので、当然神に属している神聖なもので、それを採ることは禁じられているものである。すなわち採れば神罰を蒙る菅である。そうしたもので衣を摺って着せる児は、思う男のためにはいかなる危険をも冒そうという女である。これは男の内心の熱望を譬喩した心の歌」であると解説しています。

 1345の「常ならぬ」は、世の常ならぬの意で「人」にかかる枕詞。「人国山の秋津野」は、和歌山県田辺市秋津町の野とする説と、奈良県吉野町の吉野宮付近の野とする説があります。「常ならぬ~かきつはた」は、人妻の譬え。かきつばたの花色の紫は尊貴な色とされたので、貴い女に譬えたものと見えます。「し」は、強意の副助詞。「かも」は、詠嘆。

 1346の「をみなえし」は、花が咲く、の意で同音の「佐紀」にかかる枕詞。「佐紀沢」は、奈良市佐紀町一帯の沼沢地。「真葛原」の「葛」は、山野に自生するつる草で、秋に紫色の小花をつけ、つるからは布を製し、根からはでんぷんをとります。上3句は少女の譬え。「何時かも」の「かも」は疑問で、「いつ~かなあ」の意で「早く~したいものだ」。「繰りて」は、たぐり寄せて。「我が衣に着む」を、我が妻にすることに譬えています。

 

 

 

オミナエシ(女郎花)

 秋の七草のひとつに数えられ、小さな黄色い花が集まった房と、枝まで黄色に染まった姿が特徴。『万葉集』の時代にはまだ「女郎花」の字はあてられておらず、「姫押」「姫部志」「佳人部志」などと書かれていました。いずれも美しい女性を想起させるもので、「姫押」は「美人(姫)を圧倒する(押)ほど美しい」意を語源とする説があります。

 

『万葉集』掲載歌の索引