大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

山背の久世の若子が・・・巻第11-2361~2362

訓読 >>>

2361
天(あめ)にある一つ棚橋(たなはし)いかにか行(ゆ)かむ 若草(わかくさ)の妻(つま)がりと言はば足飾りせむ

2362
山背(やましろ)の久世(くせ)の若子(わくご)が欲しと言ふ我(わ)れ あふさわに我(わ)れを欲しと言ふ山背の久世

 

要旨 >>>

〈2361〉天の川を渡る一枚板だけの橋をどのようにして渡ろうか。いとしい妻のもとへというなら、しっかり足装いをして渡ろう。

〈2362〉山背の久世の若君が私が欲しいんだとさ、軽はずみにもこの私が欲しいんだとさ、山背の久世の若君が。

 

鑑賞 >>>

 『柿本人麻呂歌集』から、旋頭歌(5・7・7・5・7・7)の形式の歌2首。2361の「天にある」は「一つ棚橋」の枕詞。「棚橋」は、板を棚のように渡した仮の橋。「若草の」は「妻」の枕詞。「足飾り」は、足結などを美しく飾る意か。窪田空穂は、「男が夜、新たに得たと見える妻の許に出かけようとする際の心」であり、「『若草の』という枕詞は、ことに重く働いている。極度に気分的な、また技巧のすぐれた、人麿 歌集にのみ見られる詠み方の歌である」と評しています。

 2362の「山背」は京都府京都市から南(「山城」の表記は平安遷都以降)。「久世」は、京都府城陽市久世。「若子」は、年少の男子を敬っていう語、若様。「あふさわに」は、軽率に、気軽に。「私が欲しいなんて、いったい誰に言ってるの?」とプライドの高い女の歌の風情ですが、久世の歌壇でのからかい歌ではないかとされます。窪田空穂は、「こうした境を取材として捉え、生気に満ちた作とすることは、人麿歌集の歌以外には決して見られないことで、そのこと自体がすでに超凡なものである」と述べています。

 

 

万葉集』以前の歌集

■『古歌集』または『古集』
 これら2つが同一のものか別のものかは定かではありませんが、『万葉集』巻第2・7・9・10・11の資料とされています。

■『柿本人麻呂歌集』
 人麻呂が2巻に編集したものとみられていますが、それらの中には明らかな別人の作や伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではありません。『万葉集』巻第2・3・7・9~14の資料とされています。

■『類聚歌林(るいじゅうかりん)』
 山上憶良が編集した全7巻と想定される歌集で、何らかの基準による分類がなされ、『日本書紀』『風土記』その他の文献を使って作歌事情などを考証しています。『万葉集』巻第1・2・9の資料となっています。

■『笠金村歌集』
 おおむね金村自身の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第2・3・6・9の資料となっています。

■『高橋虫麻呂歌集』
 おおむね虫麻呂の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第3・8・9の資料となっています。

■『田辺福麻呂歌集』
 おおむね福麻呂自身の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第6・9の資料となっています。
 
 なお、これらの歌集はいずれも散逸しており、現在の私たちが見ることはできません。