訓読 >>>
1282
梯立(はしたて)の倉橋山(くらはしがは)に立てる白雲 見まく欲(ほ)り我(わ)がするなへに立てる白雲
1283
梯立(はしたて)の倉橋川(くらはしがは)の石(いし)の橋はも 男盛(をざか)りに我(わ)が渡りてし石の橋はも
1284
梯立(はしたて)の倉橋川(くらはしがは)の川の静菅(しづすげ) 我(わ)が刈りて笠にも編(あ)まぬ川の静菅
要旨 >>>
〈1282〉倉橋山にわき立つ白雲を見たいなあと思っていたら、ちょうど白雲がわき立ってきたよ。
〈1283〉倉橋川の飛び石の橋はなあ、私が若い頃に、あの子の家に通うために渡ったあの飛び石の橋はなあ。
〈1284〉倉橋川の川のほとりに生えている静菅よ、私が刈って笠も編まずにそのままにした川の静菅よ。
鑑賞 >>>
いずれも若かったころを偲ぶ旋頭歌形式(5・7・7・5・7・7)の歌で、『柿本人麻呂歌集』に収められています。1282~1284の「梯立の」は、高床式の倉に梯子(はしご)を立てたところから「倉」にかかる枕詞。
1282の「倉橋山」は、奈良県桜井市にある音羽山(標高852m)。「立てる白雲」は、わき立つ白雲よ、の意。「見まく欲り」は、見たいと思って「なへに」は、~と同時に、ちょうどその時。見たいと思っていた自然現象を、希望通りに目にした時の感動の歌と解しましたが、一方で、今は逢うことのできない人を偲んで白雲に呼びかけた歌とする見方もあります。古代には雲は霊魂の象徴とされ、雲を見て人を偲ぶ歌が多くあります。
1283の「倉橋川」は、桜井市の多武峰から倉橋を経て初瀬川に合流する川。「石の橋」は、川の浅い場所に石を並べて橋にした踏み石。「はも」は、ここでは回想の意を持つ終助詞。「男盛り」は、若い盛りの時。昔、自分が軽々と飛んで渡った石橋は、今はもうなくなってしまった、あるいは、今は若さを失って飛べなくなったという、いずれかの感慨の歌と見えます。
1284の「静菅」は、菅の一種ながら、どういう特色のあるものかは不明。あるいは静かに生えている菅のことか。ここは女の喩えで、しかも、お高くとまって乱れることなくとり澄ましている女を譬えているとされます。「我が刈りて笠にも編まず」の、菅を刈ることは女を我が物にする意の譬え、編むことは女と夫婦になることの譬え。以前、この土地の女で、妻にしようと思いながらそのままにしてしまったことを譬えて思い出している歌とされますが、そんなにお高くとまっていると結婚相手ができないぞと揶揄している歌にも感じられます。
『万葉集』以前の歌集
■『古歌集』または『古集』
これら2つが同一のものか別のものかは定かではありませんが、『万葉集』巻第2・7・9・10・11の資料とされています。
■『柿本人麻呂歌集』
人麻呂が2巻に編集したものとみられていますが、それらの中には明らかな別人の作や伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではありません。『万葉集』巻第2・3・7・9~14の資料とされています。
■『類聚歌林(るいじゅうかりん)』
山上憶良が編集した全7巻と想定される歌集で、何らかの基準による分類がなされ、『日本書紀』『風土記』その他の文献を使って作歌事情などを考証しています。『万葉集』巻第1・2・9の資料となっています。
■『笠金村歌集』
おおむね金村自身の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第2・3・6・9の資料となっています。
■『高橋虫麻呂歌集』
おおむね虫麻呂の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第3・8・9の資料となっています。
■『田辺福麻呂歌集』
おおむね福麻呂自身の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第6・9の資料となっています。
なお、これらの歌集はいずれも散逸しており、現在の私たちが見ることはできません。