大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

名ぐはしき稲見の海の・・・巻第3-303~304

訓読 >>>

303
名ぐはしき稲見(いなみ)の海の沖つ波 千重(ちへ)に隠りぬ大和島根(やまとしまね)は

304
大君(おほきみ)の遠(とほ)の朝廷(みかど)とあり通(がよ)ふ島門(しまと)を見れば神代(かみよ)し思ほゆ

 

要旨 >>>

〈303〉名高い稲見の海の、沖の波のいくつもの重なりの中へ隠れてしまった、大和の懐かしい山々が。

〈304〉大君の遠い朝廷として往来する島門を見ると、この島々によって生み成された遠い神代のことが偲ばれる。

 

鑑賞 >>>

 柿本人麻呂が筑紫に下る時に、海道にして作る歌2首とあり、明石海峡を過ぎたあたりで詠まれた歌です。

 303の「名ぐはしき」は名高い。「稲見(印南)の海」は、播磨国の印南野(明石市から高砂市間の平野)沿いの播磨灘(はりまなだ)。「大和島根」の「根」は山頂、大和地方の生駒山地金剛山地の稜線をいっています。

 304の「遠の朝廷」は、京から遠く離れた国々にある政庁のことで、ここでは筑紫に向かいつつあるので、その方面の国庁、大宰府。「島門」は瀬戸、海峡。明石海峡を「遠の朝廷」への出入口と見立てています。「あり通ふ」は人麻呂自身のことではなく、昔から今まで通い続けてきた古人たちのことを思っています。「神代」は、伊弉諾(いざなぎ)、伊井冉(いざなみ)の二神の国産みのことをいっているようです。