訓読 >>>
草枕(くさまくら)旅の宿(やどり)に誰(た)が夫(つま)か国忘れたる家(いへ)待たなくに
要旨 >>>
この旅の宿りに、どこの誰の夫だろうか、帰るべき国も忘れて倒れている。家の妻は帰りを待っているだろうに。
鑑賞 >>>
藤原京の皇居に近い香具山(かぐやま)に行き倒れている人を見て、柿本人麻呂が作った歌。「草枕」は「旅」の枕詞。「旅の宿り」は、死んで横たわっているのを、寝ている状態と見て美しく言い換えたもの。「国忘れたる」は、死んで故郷へ帰ろうとしない意で、これも死を美しく言い換えた表現。「家待たなくに」は、家の人すなわち妻が待っているだろうに。
行路死人歌
旅の途中で死人を見つけて詠んだ「行路死人歌」とされる歌が、『万葉集』には21首あります。それらから、この時代、旅の途中で屍を目にする状況が頻繁にあり、さらに道中で屍を見つけたら、鎮魂のために歌を歌う習慣があったことが窺えます。
諸国から賦役のため上京した者が故郷に帰る際に飢え死にするケースが多かったようです。『日本書紀』には、人が道端で亡くなると、道端の家の者が、死者の同行者に対して財物を要求するため、同行していた死者を放置することが多くあったことが記されています。
また、養老律令に所収される『令義解』賦役令には、役に就いていた者が死んだら、その土地の国司が棺を作って道辺に埋めて仮に安置せよと定められており、さらに『続日本紀』によれば、そうした者があれば埋葬し、姓名を記録して故郷に知らせよとされていたことが分かります。
こうした行路死人が少なくなかったことは律令国家の闇ともいうべき状況で、大きな社会問題とされていたようです。