訓読 >>>
1699
巨椋(おほくら)の入江(いりえ)響(とよ)むなり射目人(いめひと)の伏見(ふしみ)が田居(たゐ)に雁(かり)渡るらし
1700
秋風に山吹(やまぶき)の瀬の鳴るなへに天雲(あまくも)翔(かけ)る雁(かり)に逢へるかも
要旨 >>>
〈1699〉巨椋池の入江が騒がしくなった。射目人が伏すという伏見の田園に、雁が飛び渡っていく音らしい。
〈1700〉秋風吹く山吹の瀬の音が鳴り響いているが、折も折、はるか天雲の彼方を翔けていく雁の群れが見える。
鑑賞 >>>
『柿本人麻呂歌集』から、「宇治川にて作れる歌」2首。宇治川は、琵琶湖の南端の瀬田から瀬田川となって流れ出て、宇治市付近から大きく北へ湾曲し、伏見を通過して八幡市付近で木津川・桂川と合流して淀川となります。1699の「巨椋の入江」は、宇治市の西にあった巨椋池(おぐらいけ)。宇治川が流入する辺りが入江になっていたとされます。「響むなり」は、ナルナリと訓むものもあります。「射目人の」は、狩猟のときに隠れ伏して弓を射る人の意で、「伏し」と続いて「伏見」にかかる枕詞。「伏見」は、京都市伏見区の一帯。「田居」は、田んぼ。斎藤茂吉は、「入江響むなり」と、ずばりと言い切っているのは古調のいいところであり、こうした使い方は万葉にも少なく簡潔で巧みなもの、さらに、調べが大きく、そして何処かに鋭い響きを持っているところは、或いは人麻呂的、とも言っています。
1700の「秋風に」は、秋風によって。「山吹の瀬」は、所在未詳ながら、宇治橋下流の瀬ではないかとされます。美しい名であり、春に山吹が岸辺を彩る清らかな瀬なのでしょうか。「なへに」は、とともに、と同時に。「天雲翔る」は、雁が天雲の彼方を飛翔するさま。「かも」は、詠嘆。窪田空穂は、「自然界の大きな力をもって動乱するさまを、子細に見やって、その力を身に感じている」歌と評しています。2首連作で、1首目は音によって雁を推測し、2首目ではその姿を天空に見て感動しています。
略体歌について
『万葉集』に収められている『柿本人麻呂歌集』の歌は360首余ありますが、そのうち210首が「略体歌」、残り150首が「非略体歌」となっています。「非略体歌」とは、「乃(の)」や「之(が)」などの助詞が書き記されているスタイルのものをいい、助詞などを書き添えていないものを「略体歌」といいます。
たとえば巻第11-2453の歌「春柳(はるやなぎ)葛城山(かづらきやま)に立つ雲の立ちても居(ゐ)ても妹(いも)をしぞ思ふ」の原文は「春楊葛山発雲立座妹念」で、わずか10文字という、『万葉集』の中でも最少の字数で表されています。
このような略体表記の歌の贈答(相聞往来)が実際になされたとすると、お互いに誤読や誤解釈のリスクがあったはずです。その心配がなかったとすれば、男女双方の教養が、同化して一体のレベルにあり、省略した表記を、双方が十分理解できていたことになります。一方で、秘密の書簡往来を行っていた証で、他者からの読解を防いでいたということなのかも知れません。後で人麻呂が歌を編集したときの独特な表記方法だとみる解釈があるものの、非略体表記も存在しているので、説得力に乏しく、略体歌の存在は今も謎となっています。