大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

東歌(30)・・・巻第14-3574~3576

訓読 >>>

3574
小里(をさと)なる花橘(はなたちばな)を引き攀(よ)ぢて折らむとすれどうら若(わか)みこそ

3575
美夜自呂(みやじろ)のすかへに立てるかほが花な咲き出(い)でそね隠(こ)めて偲(しの)はむ

3576
苗代(なはしろ)の小水葱(こなぎ)が花を衣(きぬ)に摺(す)りなるるまにまに何(あ)ぜか愛(かな)しけ

 

要旨 >>>

〈3574〉小里に咲く橘の枝を引き寄せて折り取ろうとするのだが、あまりに若々しいので、どうしようかとためらわれる。

〈3575〉美夜自呂の海沿いの砂地に生えているかおが花よ。人目につくようにぱっと咲き出ないでくれ。こっそりと愛したいから。

〈3576〉苗代に交じって咲く小水葱(こなぎ)の花を、衣に染めて着ていたら、着慣れるにしたがってどうして愛しくなるのだろう。

 

鑑賞 >>>

 3574の「小里」の「小」は接頭語で、女性の住む村里を親しんだ語。「花橘を引き攀ぢて折らむ」は女性を我が物にすることの喩え。「引き攀づ」は、掴んでたぐり寄せる。「うら若みこそ」は、若いので。あとに「折るのがためらわれる」という気持ちが省略されています。

 3575の「美夜自呂」は地名ながら所在未詳。「すかへ」は、川や海の砂地。「かほが花」はヒルガオとする説がありますが、未詳。「な咲き出でそね」の「な~そ」は禁止。「隠めて偲はむ」は、人に隠れて思っていよう。忍び妻を持つ男の気持ちの歌です。3576の「小水葱」は、ミズアオイ科の水田の食用の雑草。「衣に摺り」は、女に手を出したことの喩え。「なるる」は、着慣れる意で、馴れ親しむことの喩え。「まにまに」は、つれて、したがって。「何ぜか」は「どうして~か」の東語。