大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

防人の歌(20)・・・巻第20-4429~4432

訓読 >>>

4429
馬屋(うまや)なる縄(なは)絶(た)つ駒(こま)の後(おく)るがへ妹(いも)が言ひしを置きて悲しも

4430
荒(あら)し男(を)のいをさ手挟(たはさ)み向ひ立ちかなるましづみ出(い)でてと我(あ)が来る

4431
笹(ささ)が葉(は)のさやぐ霜夜(しもよ)に七重(ななへ)かる衣(ころも)に増(ま)せる子ろが肌(はだ)はも

4432
障(さ)へなへぬ命(みこと)にあれば愛(かな)し妹(いも)が手枕(たまくら)離(はな)れあやに悲しも

 

要旨 >>>

〈4429〉馬屋の縄を切って飛び出す馬のように、私も一緒に行くと言ってすがった妻を置いてきたのが悲しい。

〈4430〉勇ましい男が矢を手挟んで狙いを定めて待つように、見送りの騒ぎが静まるのを待って、私は旅立ってきた。

〈4431〉笹の葉がそよぐ寒い霜夜に、七重も重ねて衣を着るけれど、妻の肌の暖かさにはかなわない。

〈4432〉拒むことのできない大君のご命令なので、いとしい妻の手枕を離れてやってきたが、切なく悲しい。

 

鑑賞 >>>

 「昔年(さきつとし)の防人の歌」、つまり天平勝宝7年に大伴家持が収集したものより以前に作られていた防人歌です。防人が歌を奉ることは過去にもあり、ここの歌を含む8首(4425~4432)が、磐余伊美吉諸君(いわれのいみきもろきみ)という官人によって写され、家持に贈られています。

 4429の「馬屋なる縄絶つ駒の」は、馬屋にいて、つないである縄を切る馬のように。飼い馬は飼い主が出かけると自分も出ようとして逸り立つ習性があることから、比喩として「後るがへ」に掛けたもので、以上がその序詞。「後るがへ」の「後る」は、後に残る。「がへ」は「かは」の意の反語の訛り。後に残されるものか。防人の夫が、家を離れる際のさまを回想して詠んだもので、妻への憐れみとともに、飼い馬に対しての憐れみも含んでいます。

 4430の「荒し男」は、荒い男で、強く勇敢な男の意。「いをさ」の「い」「を」は接頭語。「さ」は「矢」の古語。「かなるかしづみ」は語義未詳ながら、鳴りをひそめて、騒ぎが静まるのを待って、などと解されています。4431の「さやぐ」は、さやさやと音を立てる。「七重かる」の「かる」は「着(け)る」の訛りで、幾重かを重ねて着ているという意。「増せる」は、増サルの訛り。「はも」は、強い詠嘆。4432の「障へなへぬ」は、強いて拒むことのできない。「あやに」は、何とも言いようがなく。

 「昔年の防人の歌」とされるこれら8首が、都の人の好みによって非常に都風に変わってしまっているのに対し、家持が選んだ防人歌は、彼の好みであり、また彼の手が加えられているだろうとはいうものの、防人の生の声が、よりいっそう伝わるものになっています。なお、これら「昔年の防人の歌」8首は、すべて武蔵国の防人歌と同様、夫婦の別れを主題に歌ったものばかりとなっています。両者の歌群が近接して載せられていることからも、「昔年の防人の歌」は、そもそも武蔵国に伝わったものではないかとの指摘もなされています。

 

 

※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について

『万葉集』掲載歌の索引